「誰も予想できない」まさかのドラ1指名 ロッテ退団から1か月…40歳が振り返る“原点”

ロッテ新入団選手発表会に出席した荻野貴司氏(後列左から1人目)【写真提供:産経新聞社】
ロッテ新入団選手発表会に出席した荻野貴司氏(後列左から1人目)【写真提供:産経新聞社】

ロッテ退団の荻野貴司、プロ入りまでの足跡を回顧

 まだまだ闘争心は失っていない。今季限りでロッテを退団した荻野貴司外野手は、コーチ就任の打診を断り、現役続行を目指している。ロッテ一筋で16年間プレーし、10月7日に退団を発表。「もう少し、現役で頑張ってやり切りたい」と新天地を求めて前を向く。2021年には最多安打と盗塁王のタイトルを獲得した俊足巧打のスピードスター。人生の大きな岐路を迎え、プロ入りまでの足跡を振り返った。

 11月上旬、来季を見据えて右膝の治療のため都内の病院を訪れた荻野。プロ通算1146試合に出場して1143安打、260盗塁、打率.283を記録している名選手は、意外にもプロ入りを意識したのは遅かったことを明かした。

「大学の時はプロに行きたいと思ってないんですよ。大学1年か2年の時、トヨタ自動車の練習に参加させていただきました。そこでコーチの方が熱心に教えてくれて、トヨタ自動車に行きたいと思ったんです。その時から、大学時代はずっと『トヨタに行くんだ』と思ってやっていました」

 郡山高から進学した関西学院大では、遊撃手のレギュラーとして活躍。関西学生リーグで通算80試合に出場して打率.332をマークし、ベストナインを5度受賞した。スカウトからも注目されたものの、プロ志望届は提出せずに社会人のトヨタ自動車に入社。レベルの高さに驚かされながらもプロへの意識が芽生えたという。

「この人たちでもプロに行けないんだという選手がいっぱいいました。その時、プロってどんな世界なんだって思いましたね。トヨタでレギュラーで出させてもらって、このレベルより上も行ってみたいと思うようになり、1年目の都市対抗辺りからプロを意識しました。ある程度試合に出させてもらって自信はついていたと思います」

インタビューに応じた荻野貴司氏【写真:尾辻剛】
インタビューに応じた荻野貴司氏【写真:尾辻剛】

2009年ドラフト1位指名「全く考えていませんでした」

 トヨタ自動車で外野手に転向していた荻野は、社会人2年目の2009年ドラフトで上位候補に。ただ、指名順についての情報は入っていなかった。「新聞とかでドラフト予想を見ていましたけど、自分の情報は全然何も知りませんでした」。ドラフト当日はトヨタ自動車のチームメートとテレビで会議の様子を見ていたという。

 すると、事前には花巻東・菊池雄星ら投手の指名をにおわせていたロッテが1位で荻野を指名。「1位は全く考えていませんでした。予想では下位指名でしたもんね。1位なんて誰も予想できないですよ。本当に驚きました。トヨタの選手と見ていたんですけど、みんな驚いていましたね」。自身も周囲も衝撃を受けた1位指名だったのである。

 ロッテは2009年限りでボビー・バレンタイン監督が退任。西村徳文ヘッドコーチが監督に昇格し、機動力野球を掲げたことで、早くから荻野に注目していた。他球団の動きを察知し、ウエーバー順を考えると2位以下では獲得できない状況が判明して、一本釣りに動いたのだ。

 チームの期待に応えるように、荻野は1年目の開幕から躍動。「2番・中堅」に定着して46試合で25盗塁とシーズン78盗塁ペースで走りまくっていた。俊足を生かした内野安打も多く、打率.326とバットでも貢献。しかし、5月21日のヤクルト戦(千葉マリン)で二盗の際に右膝を負傷し、長期離脱を余儀なくされた。

 半月板損傷で手術を受けた右膝は、翌2011年にも2度手術。今も痛みが残り、治療が欠かせない。「ずっと気になりますけど、付き合っていくしかない。結構長くて太い針を刺す治療も痛いんですけど、もうちょっと野球をやりたいから頑張ろうって感じです」。満身創痍でも、40歳を迎えても、情熱は衰えていない。プロ17年目に向けて、しっかりケアを続けていく。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY