伝説の甲子園決勝、その裏にあった“初戦敗退危機” 主将が忘れぬ19年前の熱戦「ヒヤヒヤした」

2006年夏の甲子園V、早実主将・後藤貴司氏が振り返る激闘
最大のピンチは予選最初の試合だった――。2006年夏の甲子園はエース斎藤佑樹を擁する早実(西東京)が、3連覇を狙った剛腕・田中将大を擁する駒大苫小牧(南北海道)を破り初優勝。延長15回引き分けを経て再試合となった決勝戦の激闘は、今も語り草となっている。
高校野球史に残る日本一達成だったが、地方大会では苦戦を強いられていた。敗退の危機がナインの頭をよぎったのは初戦。当時、早実の「4番・遊撃」を担い、主将を務めていた後藤貴司氏が、頂点までの道のりを振り返った。
2006年春の選抜甲子園でベスト8入りした早実は、夏の西東京大会は第3シード。2回戦からの登場だった。相手は都昭和。圧倒的有利との下馬評だったが、思わぬ展開となった。
和泉実監督から「初戦の入り方、大事さは常々言われていた」という後藤氏。「チームも僕自身も意識しているつもりだったんですけど、どうもかみ合わなかった」。4回まで0-0と重苦しい雰囲気に。5回にようやく1点を先制したが、その裏に2点を奪われて逆転を許した。
「追加点が取れずに試合が進んでいって『あれっ、ちょっとマズいかも』と思いました。あの夏、甲子園も含めて一番『これはマズい』と感じた記憶があります」
7回に1点を返して同点。9回2死から、ようやく1点を勝ち越した。斎藤が15三振を奪い2失点完投。3-2の1点差で辛くも初戦を突破したのだ。どんな強豪校も痛感させられることが多いのが初戦の難しさ。後藤氏は「本当にヒヤヒヤしました」と回顧した。
第1シードだった日大三との西東京大会決勝戦も延長11回の大熱戦。厳しい試合展開を迎えても心強かったのが、斎藤の存在だという。「都昭和との初戦もそうなんですけど、失点してもそれ以上は点数を取られる心配はないという雰囲気がありました。予選の初戦から甲子園優勝まで、斎藤という大黒柱がいて、2、3点くらいには抑えられるという安心感がチームにはあったんですよ。それが、凄く大きかったんです」。
「守りの中心には斎藤という絶対的なエースがいる」
日大三を撃破して春夏連続で甲子園出場を果たすと、聖地では打線が爆発した。鶴崎工(大分)との1回戦は13-1、大阪桐蔭(大阪)との2回戦は11-2、福井商(福井)との3回戦も7-1。危なげなく春に続いてベスト8に進出したのも、ハンカチ王子フィーバーを巻き起こした斎藤が安定した投球を続けていたからだと振り返る。
「守備のチームだったので、斎藤を中心に守りは安定していました。最少失点でいければ、どんな相手とも戦えるというのがあったからこそ、どんどん攻めに転じることができたんです。春の経験もあり、冷静に戦えたのが大きかった。夏の甲子園の時は本当にみんなよく打ちましたね」
日大山形(山形)との準々決勝は8回に逆転して5-2、鹿児島工(鹿児島)との準決勝は5-0。西東京大会の初戦で大苦戦したのがウソのような勝ち上がり方である。
迎えた駒大苫小牧との決勝戦は8回に先制を許したものの、その裏に後藤氏が同点の中犠飛。その後は斎藤、田中の両エースが踏ん張り延長15回の末に1-1で引き分けた。翌日の再試合は斎藤が完投。最後は田中を空振り三振に仕留めて4-3で振り切った。
「ベースは守りの野球だと、どの試合もブレなかった。それが僕らの強み。守りがしっかりできてるから、攻撃で自分たちの力を発揮できる。精神的にも技術的にも、守りの中心には斎藤という絶対的なエースがいて、野手もその思いに応えるように一球一球集中して守り抜いた。守りの安定があったからこそ、攻撃でも自分たちの力を存分に出せたと思います」
第1回大会に出場している伝統校が、第88回大会で成し遂げた悲願の初優勝。現在は都内でライフプランナーとして活動する後藤氏はこう語る。「今でも鮮明に思い出します。あの時は震えました。心と体が一気に解放されて、あれだけ感情を全て表に出す瞬間は初めてでしたね」。日本中を熱狂させた19年前の夏。今もその戦いぶりは色褪せない。
(尾辻剛 / Go Otsuji)