過熱報道で一変した高校生活「騒ぎすぎ」 気軽に外を歩けず…捕まると部長は激怒

早実主将・後藤貴司氏が振り返るハンカチ王子フィーバー
チームメートも驚くフィーバーぶりだった。2006年夏の甲子園はエース斎藤佑樹を擁する早実(西東京)が、3連覇を狙った剛腕・田中将大を擁する駒大苫小牧(南北海道)を破り初優勝。延長15回引き分けを経て再試合となった決勝戦の激闘は、高校野球史に残る名シーンの1つである。
大会の象徴となったのが、熱投を続け、青いタオルハンカチを使用して“ハンカチ王子フィーバー”を巻き起こした斎藤。早実で「4番・遊撃」を務め、主将としてチームをけん引した後藤貴司氏が、当時の様子を振り返った。
同年7月、早実の大先輩であるソフトバンク・王貞治監督(現球団会長)が胃がんのため慶応病院に入院して手術。チームの話題の中心は「王先輩のために勝って勇気づけよう」だった。王監督から手紙も届き「ミーティングで『王さんのためにも頑張ろう』と話したのを覚えています」と振り返る。
春夏連続出場となった甲子園では、鶴崎工(大分)との1回戦に13-1と好発進。続く大阪桐蔭(大阪)との2回戦は、1学年下のスラッガー・中田翔との対決に注目が集まった。「関東の右投手なら斎藤という立ち位置だったと思います。最初はハンカチではなく、王先輩の母校・早実のエースがいい投手で、しかも甘いマスクという感じでフォーカスされていて、中田との対決が注目されていました」。
斎藤は中田を4打数無安打3三振に封じ、11-2で快勝。ポーカーフェースで力投する姿に加え、タオルハンカチで汗を拭うシーンがワイドショーにも取り上げられ、一気に人気に火がついた。それまで「早実」だったスポーツ新聞の見出しは「斎藤」「ハンカチ王子」にシフトチェンジ。報道陣の質問もタオルハンカチに関するものが増えていった。
「野手から見たら騒ぎ過ぎじゃないのかなって思う部分もありました。取材に報道陣が来過ぎているんじゃないかなと感じつつ、あの時は『こういうものなのかな』とも思っていました」。福井商(福井)との3回戦は7-1、日大山形(山形)との準々決勝は8回に逆転して5-2、鹿児島工(鹿児島)との準決勝は5-0。決勝まで勝ち上がると、フィーバーは過熱の一途をたどった。
斎藤佑樹は「自分の軸をしっかり持っている」
後藤氏ら斎藤以外にも野球以外の質問が飛ぶようになっている状況。タオルハンカチは後藤氏を含む他のナインも普段の練習中からポケットに入れて使用していたが、アイドル的な取り上げ方をするメディアもあり、斎藤と同じタオルハンカチを購入しようとするファンが続出した。
「甲子園期間中、ある雑誌に『早実の選手がしている腕時計は高級だ』みたいなことも載っていたんです。『やっぱり他とは違う』みたいな雰囲気でした。『野球とは全く関係ないじゃん』と思いながら見ていましたね」。宿舎から外出して待ち構えていた報道陣に囲まれてしまい、佐々木慎一野球部長(現校長)から怒られたこともあったという。気軽に外を出歩けない状態だった。
駒大苫小牧との延長15回引き分けを経て、再試合を制して悲願の日本一を達成。フィーバーは大会後も続いた。登下校の際に取材しようと校門前には報道陣が連日殺到。「大会後の方が『本当に凄いな』って感じました。異様さがありましたね」と振り返るほどだった。
一躍スターになった斎藤を、後藤氏は「考え方、自分の軸をしっかり持っている」と評する。「あんまり自分の考えを曲げないタイプです。自分が決めたことは最後までやり通す。それは1年生の時から思っていました」。
最初はマウンド上で喜怒哀楽の「怒」を態度に出す選手だったという。「2年生ぐらいから、どんなことがあってもポーカーフェースで、冷静な斎藤、大人の斎藤に変わったのを見てきました。基本的に頭がいいです」。プライベートについては「はじけたりすることもあります。普通の高校生でした」と説明した。
大学野球、社会人野球でもプレーした後藤氏は現在、外資系の生命保険会社で営業マンとして働いている。野球からは離れているが「あの夏のことは、甲子園シーズンになると今でも思い出します。大会前と大会後で大きく変わりました」と変化した日常を忘れない。19年前の夏に起こった異質の騒動。毎年のように甲子園のヒーローは出現するが、近年では例を見ない熱狂ぶりだったのは間違いない。
(尾辻剛 / Go Otsuji)