甲子園Vもプロ入り断念、伝説の一戦が転機 「話すのは失礼」も…次期監督候補に本音

インタビューに応じた元早実主将・後藤貴司氏【写真:尾辻剛】
インタビューに応じた元早実主将・後藤貴司氏【写真:尾辻剛】

早実日本一時の主将・後藤貴司氏、現在は外資系の生命保険会社勤務

 エース斎藤佑樹を擁し、2006年夏の甲子園を制した早実(西東京)。田中将大を擁する駒大苫小牧(南北海道)を、延長15回引き分け再試合の末に撃破した決勝戦は、球史に残る名勝負の1つに数えられている。当時、「4番・遊撃」を務め主将としてチームをけん引したのが後藤貴司氏。37歳となった現在は、生命保険会社で営業マンとして走り回っている。その一方で、早実の次期監督の有力候補にも挙がっているという。

 1992年から早実の指揮を執る和泉実監督は現在64歳。いずれは退く時が来る。恩師の後任候補に、夏の甲子園初優勝をけん引した主将の名前が挙がるのは自然な流れともいえる。「(次期監督候補と)OBの方から次々に言っていただくので、意識せざるを得ない。実際に意識はしている時期はありました」。

 後藤氏は早大でも野球部に入部。内野のレギュラーをつかみかけた時期もあったが、目立った活躍はできなかった。卒業後は「プロを目指したい」と日本製紙に入社し、社会人野球の「日本製紙石巻」で活動。3年間プレーして、プロ入りは断念し、現役を引退した。

 日本製紙で10年間働いた後は、野球の動作解析などを行う「ネクストベース」に転職。「これだけ最先端技術が発達してきている中で、これからのスポーツ選手にとって、データと科学的な知見から分析して、自身の感覚と紐づけながら“量と質”を向上させることは、考え方と競技力向上の幅を広げられる。教育という観点からも、さらにスポーツ界を盛り上げられる」と再び野球を学びつつ、営業アナリストとして従事した。

 勤務する中で「守る」というスタンスで顧客に向き合いたいと強く感じるようになり、生活していく上でより本質的な提案ができる環境を求め、昨年7月からは外資系の大手生命保険会社に勤めている。

「営業マンは、人の“思い”や“選択”に火をともす存在であると思います。相手の人生に深く関わり、その人の未来を一緒に描く。形のない“思い”を形にできる生命保険を通じて、人生の良きパートナーとなれるよう日々活動しています」

甲子園優勝メンバーで唯一の社会人野球経験者

 伝統校の主将を担ったことで「プレッシャーへの耐性がつきました」という後藤氏。「ベンチ入りメンバー以外のことも考えないといけない。しっかり対応できたとは言えないですけど、メンバーに入れなかった選手の思い、悔しさを考えられたのは大きい」。80人近い部員をまとめた経験は、営業の仕事にも生きている。それは指導者の道にも通ずるものがある。

「ネクストベース」時代は野球の現場に赴くことも多く、自然と話題になることがあった将来の指導者について「意識することは当然ありました」という。複数のOBから再三「甲子園で優勝した時のメンバーが次の監督に」と言われれば、考えを巡らせるのは当然のこと。営業でチームを訪問するたびに、それぞれの監督の考え方や方針、活動を肌で感じ、勉強をしていたという。

「和泉監督は私の恩師ですし、進退について僕が何かを話すのは失礼ではあるなと思います。それに転職して1年ちょっとですし、今は考えられないという感じです」。恩師への配慮もあり、慎重に言葉を選びながら複雑な心境をのぞかせた。

「野球界に恩返ししたい気持ちはあります」。投手の大黒柱だった斎藤に対し、野手の柱だった後藤氏。優勝メンバーでただ1人、社会人野球まで経験している。周囲の期待を感じながらも「今は自分が決めた道で貢献できるように頑張るだけです」という立場を貫く。伝説となった甲子園制覇から来年で20年。もうすぐ、節目の年を迎える。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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