襲われた大病、長引いた入院…“消えた”コーチ最終年 告げられた契約満了「使えないよね」

ヤクルトコーチ時代の佐藤真一氏【写真提供:産経新聞社】
ヤクルトコーチ時代の佐藤真一氏【写真提供:産経新聞社】

佐藤真一氏は引退後にヤクルト、オリックスでコーチを歴任

 福岡ダイエー(現ソフトバンク)、ヤクルトでプレーし、40歳だった2005年限りで現役を引退した佐藤真一氏は、翌2006年から指導者として第2の野球人生のスタートを切った。ヤクルト、オリックスでコーチを務めたが、2023年はシーズンのほとんどで姿を見せずに同年限りで退団。実は大病に次々襲われて入退院を繰り返していた。

 ヤクルトでは2軍外野守備走塁コーチ、1軍打撃コーチなどを務め、2014年は1軍ヘッドコーチに就任した。小川淳司監督の側近となったが、4月に9連敗を喫するなど波に乗れず、最終的に60勝81敗3分けの勝率.426で2年連続の最下位。小川監督とともに同年限りで退任した。

「連敗しているときは本当につらい。メンタルが崩壊するかと思った。朝はなんでか早く目が覚めて、ただ散歩する。勝てなくてボロボロだったね」。2015年はオリックスで1軍打撃コーチを務めるも、開幕直後の4月19日に2軍に配置転換となったこともあった。2016年からはフロント入りし、2021年に2軍コーチとして再びヤクルトへ。2022年は1軍外野守備走塁コーチでリーグ優勝の歓喜を味わった。

 思わぬ事態に見舞われたのは2軍を担当していた2023年のことだ。風邪症状が長引き体のダルさを感じながらも指導を続けていたが、6月中旬に埼玉県戸田市内の寮で我慢できないほどの体調不良に見舞われた。「トイレに行ったら尿が黒い。これはダメだと病院に行ったら『すぐに入院です』と言われて、肝炎と診断されて」。2週間ほど入院をして、ようやく家に戻ることができた。

現在は札幌大の監督を務める佐藤真一氏【写真:町田利衣】
現在は札幌大の監督を務める佐藤真一氏【写真:町田利衣】

「嫁と話して北海道に戻ろうと」札幌大コーチ→監督就任

 仕事に復帰したのも束の間、暑いオフの日だった。妻と買い物に行くために車に乗ったが、「喋りづらくてね。この前(肝炎)のこともあるから念のため病院に行って、MRIを撮ってもらったらそのまま入院」。脳梗塞だった。すぐに症状はなくなったが原因解明のためにあらゆる検査が行われ、結局入院生活は1か月にも及んだ。

 早期発見で幸い後遺症もなく、今後の仕事への影響もないとされた。しかしグラウンドに戻ったときには、季節はすでに秋になっていた。「体が変な感じはなかった」というものの、長期間入院していたため外で活動するしんどさは痛感していた。球団からは契約満了を告げられた。「病気が辞める原因にはなったかもしれない。そんなコーチ使えないってなるじゃない。最後のあがきでお願いしようかと思ったけど、嫁とも話して北海道に戻ろうと決めたよ」。

 関係者からの熱心な誘いを受け、2024年から札幌大野球部のコーチに就任。今年からは監督を務め、今秋の札幌六大学リーグで優勝に導いた。実家が近く、幼少期に遊んでいたという縁深い場所で始まった新たな挑戦だ。「今に満足しているかな。最後にこういう場所をもらえているのは幸せだし、(2023年のことは)次の道に行くいいタイミングだったと思っているから」。形は変わっても、野球への熱は消えない。広大な緑と澄んだ空気が広がる地元で、還暦を迎えた佐藤氏の野球人生は続いている。

(町田利衣 / Rie Machida)

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