野球人口減…偏差値70、公立進学校に「社会を変えてほしい」 監督が“託す”思い

「タカタカに入学できなかったら野球はやらないかもな」
「ここじゃなかったら、野球を辞めていたかもしれない」――。夏秋連続ベスト4という快挙の裏で“本音”が聞こえた。群馬県屈指の進学校・高崎高校(通称タカタカ)。朝練なし、練習2時間という限られた時間でも勝ち上がる姿は、県内外で静かな話題になっている。取材で見えてきたのは、「野球が楽しくなった」と語る選手たちが、自ら考え、社会課題にまで挑もうとする“高校生らしくない”自立した姿だった。
選手たちの声を飯野道彦監督に伝えると、少し驚いた表情を浮かべながら、こう分析した。「意外かな、という気はします。ただ、自分たちでやりながら結果が出ていること。それが一番、そう(楽しく)させているんでしょうね」。
2年生の宮石悠歩投手は、中学時代を振り返りながら語る。「高校受験の時点で『タカタカに入学できなかったら野球はやらないかもな』と思っていました。でも、高校に入ってからだんだん野球が好きになっていったんです」。同じく2年の坂下悠真内野手も「小中学校でやっている時よりも、本当に今、高崎高校で野球をやるのが楽しくて。野球って面白いなって、すごく思うようになりました」と目を輝かせた。
彼らが口にする「楽しさ」は、サボれるという意味での「楽(ラク)」とは対極にある。タカタカの練習メニューはすべて生徒たちが決める。目標から逆算し、今日は何をやるべきかを自分たちで議論して動く。そこには、指導者に「やらされる練習」はない。その代わり、自分たちで決めたことには責任が伴ってくる。
自由とは時に不自由だ。自分たちで練習を組むということは選択肢が膨大に生まれ、何を取捨選択するかを常に決め続けなければいけない。自由であればあるほど、決断と責任の総量が増えることになる。しかし、この「自由な不自由」とも言える環境こそが、彼らの思考力を鍛え、野球というスポーツの奥深さに気づかせているのだ。

高校野球は「育成」や「指導」の場ではない
自分たちで考える力は、グラウンドの外でも発揮されている。飯野監督は、教育者として彼らに一つの“宿題”を託していた。「高校野球を『育成』や『指導』の場だとは、あまり思っていないんです。彼らは中学校までである程度、人間性は育っている。社会に出ても通用する力を持っています」。だからこそ、ただ勝利を目指すのではなく、「社会を変えてほしい」と願っている。
野球人口の減少が叫ばれて久しい。公園や河原などで球技することも難しい社会となり、野球に接する子どもたちも著しく減っている。飯野監督は「自分たちで能動的に、野球人口に歯止めをかけるような働きかけができるんじゃないか。それを生徒たちに期待しているんです」と話す。
その言葉通り、選手たちは動いた。今年6月の文化祭「翠巒祭(スイランサイ)」では、例年の招待試合に代わり、彼らは「野球体験会」をゼロベースで企画した。ストラックアウトを模した的を自作し、スピードガンを用意。多くの小中学生を楽しませた。「結構好評でよかったですよ。彼らは『やりたい』となれば、形にできる力を持っていますから」と飯野監督は目を細める。
夏秋ベスト4進出…地域の応援の数も増加
タカタカの躍進を支えているのは、野球部だけの力ではない。校内を見渡せば、刺激に溢れている。実は、同校のバレーボール部は2年連続県予選を勝ち抜き、春高バレーへの出場を決めた。また、物理オリンピックなどの世界大会に出場する生徒もいる。「トップレベルの子が近くにいるのは相当な刺激になります。『自分たちもやればできるんじゃないか』と」(飯野監督)。
夏秋ベスト4という結果を受け、地域からの注目度は急上昇した。「勝ち進んでから、地域の人たちからすごく応援されるようになって。それが嬉しかったです」と、宮石は照れくさそうに笑っていた。そしてまさに、これこそが飯野監督が描く理想のチーム像でもある。
「小さい子供にとっては憧れの対象であり、年配の方からは『すがすがしい』と応援される。そんなふうに愛されるチームであり続ければ、野球部としても長く続いていくし、その先に甲子園などのチャンスも巡ってくるかなと思います」
甲子園を絶対的な目標にしてしまえば、届かなかった時にすべてが失敗になってしまうかもしれない。だが、高崎高校の球児たちは勝利を“ゴール”ではなく“通過点”として捉えている。
自分たちで考え、楽しみ、新たな形で社会に還元する――。時に勝利至上主義とも揶揄される高校野球にあって、タカタカ野球部に“新しい形”を見た気がした。
(新井裕貴 / Yuki Arai)