1日1000球“投げ込み”→痛めた右肩 「暗闇の中」の高卒1年目…転向が生んだ「34」の悪夢

ロッテでチーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた大塚明氏【写真:小林靖】
ロッテでチーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた大塚明氏【写真:小林靖】

ロッテ前コーチ・大塚明氏、入団直後の内野手時代を回顧

 守備の名手もプロ1年目は最悪のスタートだった。ロッテでチーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた大塚明氏は今オフ、32年間所属したチームを退団。来年は高卒で入団して以来初めて球界を離れて外からプロ野球を見守る。今年4月に50歳を迎え、コーチ生活は選手兼任時代を含めて16年に及び「やり切った」という。多くのファンに愛された男が節目の年に大きな決断を下し、プロ生活を振り返った。

 大分の別府羽室台高から1993年ドラフト3位でロッテに入団。高校時代はエース兼外野手だったが、内野手での指名だった。「内野はやったことがない。小4ぐらいでショートは経験したけど記憶にないぐらい」。そんな状況だったが、ロッテでは投手から内野手に転向して1041試合に出場した佐藤兼伊知が同年からコーチを務めていた。

「兼伊知さんが投手から内野に転向して成功しているけど、兼伊知さんは高校時代に投手と内野手をやっていたんです。僕はやったことがないので全然違う。送球に自信があるわけでもないし、細かい動きもできていませんでした」

 不安を抱えたまま1年目は主に遊撃手で出場。ただ、三塁手での1個を含む34個の失策を記録してしまった。遊撃手のシーズン33失策は91年以降ではイースタンとウエスタン・リーグを合わせてワースト記録として今も残る。

「34個もエラーして、記録に残ってます。見えないエラーを入れたら、多分50個以上しているんじゃないかな。四苦八苦して、本当に毎日が嫌で嫌で仕方なかったですね。そんな野球人生の始まりでした」。苦難の船出だった。

苦手だったスローイング、1日1000球以上投げた日も

「何とかしてやろうというか、何とかせざるを得ない状況です。逃げ出すわけにはいかないし、自分の仕事だから必死に成立させるためにどうすればいいか、当時の僕なりに頑張りました」。試合前練習は9割以上が守備練習。早出の朝練も守備練習だった。

「通常の練習も、1時間打撃練習があったとしたら、50分は守備練習。走塁練習もせず、ティー打撃もせず、10分だけフリー打撃だけに入る日もあったぐらいです。課題は明らかでした」。中でも苦手だったのがスローイング。肩は強かったものの送球に難があり、失策の大半が送球ミスだった。

 ひらすら送球の正確性を高めようとする日々。多い時には1日1000球以上も投げることがあったという。コーチを経験した今なら「もうちょっと前向きにポジティブに頑張れたらいいな」と考えるそうだが、当時は「暗闇の中にいたから本当に大変でした」と振り返る。結果的に追い込み過ぎた練習で右肩を痛め、引退まで痛みとの闘いが続くことになる。

 1軍定着後は左腕キラーとしての打撃や、試合終盤の守備固めなどスーパーサブとしても活躍した外野守備の名手が苦しんだ内野手時代。「子どもの頃から送球は得意じゃなかった。スピードは速いけど、肩だけ強くてノーコン。僕がコーチなら『こいつは内野は無理だな』という感じでしたね」。現役を引退し、選手兼任を含めてコーチを16年間経験した今も、苦しい思い出として脳裏に刻まれている。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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