杉内俊哉が屈辱7失点→ベンチ殴り骨折 「もう時効かな」…“キラー”明かすKO劇の舞台裏

ダイエー時代の杉内俊哉【写真提供:産経新聞社】
ダイエー時代の杉内俊哉【写真提供:産経新聞社】

ロッテ前コーチ・大塚明氏、現役時代は左投手キラー

 癖を見抜くのも、練習の1つだった。今年、チーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた前ロッテの大塚明氏は今オフ、32年間所属したチームを退団。入団後初めて球界を離れ、来年は外からプロ野球を見守る。ロッテ一筋だったプロ野球人生。1軍に定着するためにデータを徹底的にチェックし、厳しい競争を生き抜くために相手投手の癖を探った。

「僕みたいな平凡な選手は、相手の癖を探さないと勝負できない。データとか癖とか、何かしら信じ切れるものがないかを探していました。一流の投手ほど、プロ野球界からいなくならないですし、癖を1個見つけたら、ずっと対戦できて対応できるんです」

 1993年ドラフト3位で入団し、7年目の1999年に1軍定着。当時はビデオテープの時代で、先乗りスコアラーに頼んで多くのビデオをチェックしていたという。左投手キラーとして左腕投手の際に出番が増えていた大塚氏は「左投手の半速球、フォークボールとかチェンジアップを押さえれば何とかなるんじゃないかなと思って、1日10時間ぐらい映像を見ていました」と振り返る。

 テープが擦り切れるほど食いついて見ているうちに、癖だけでなく投球の傾向にも気づけるようになってくる。「傾向や性格、意外とコントロールが悪いとかが分かってくる。相手のことが分かってくるから、打席でのイメージつきやすくなるんです」。少しでも優位に立てる状況を探り続けていた。

 一流投手を攻略した思い出で忘れられないのが、ダイエー時代の杉内俊哉投手。2004年6月1日、球界屈指の左腕に対し「1番・中堅」で先発出場した。初回、いきなり右前打を放って出鼻をくじく。2回にも右前打を放った。リードオフマンの2安打は打線に勢いをつけ、難敵を2回7失点KO。杉内は悔しさのあまり、ベンチで大暴れ。両手の小指を骨折して騒動となった。

元ロッテ・大塚明氏【写真:尾辻剛】
元ロッテ・大塚明氏【写真:尾辻剛】

常に仕掛けていた頭脳戦「迷いをいかに消していくか」

「もう時効だと思うので話します。あの時は癖が分かっていました。球種によって、(右手の)グラブの角度が変わっていたんです。彼はどちらかというと、そういう癖が消えない投手でした。それでも最多勝を獲ったり、凄く能力が高い投手。そういう癖が分かりにくかったら、もっと打てませんでした。骨折したのは申し訳ないなと思いましたね」

 最多勝や最多奪三振など数々のタイトルを獲得し、日本代表でも活躍した杉内との公式戦での生涯成績は、1本塁打を含む28打数9安打で打率.321。左投手キラーの面目躍如である。「僕は凡人だったので、そういうのもプロとして生きる道だった。そういうところから勉強していましたし、戦える方法を探していました」。常に頭脳戦を仕掛けていたのである。

「いい打者は打席で迷わない。型もあるし、戦い方が分かっている。しょぼい打者は迷うんです。僕はしょぼいから常に迷っていた。迷いをいかに消していくかが重要だったんです。追い込まれる前に、どう絞って、狙っていくかを考えていました」。データの分析も、癖を見抜くのも、プロで磨いてきた技術の1つだった。

 そんな大塚氏が、どう分析しても理解できない投手がいた。阪神の藤川球児だ。「速さはそんなに感じなかった。それなのに真っすぐを狙って振っても当たらない。かすりもしないんです。凄いというより、訳が分からない感じでした」。データを超越した異次元の伸び。その体験もまた、思い出深い対戦の1つだった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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