2軍防御率1.00も戦力外→新天地で下した“決断” NPBで「1/254」も…直訴した挑戦

井口和朋は10月にオリックスから戦力外通告、来季はオイシックスでプレーする
オリックスから戦力外通告を受け、来季からイースタン・リーグのオイシックスでプレーする井口和朋投手が、プロ入り後初めて先発転向して再起を目指す。
「せっかくもう一度野球ができて、違う環境に身を置けるのなら、同じことをやってもしゃあないんで、新しい自分を確立したいと思って、自分から先発をお願いしました」。入団発表から数日後、オリックスの球団施設でトレーニングに励む井口が、いつも以上に真剣な表情で切り出した。
井口は武相高(神奈川)、東農大北海道オホーツクから2015年ドラフト3位で日本ハムに入団。救援として2021年にはキャリアハイの43試合に登板し、防御率1.86でブルペン陣を支えたが、2023年オフに戦力外通告を受け、オリックスに育成選手として入団。2024年開幕直前に支配下登録され、32試合に登板し1勝2敗3ホールドと存在感を示した。2025年はウエスタン・リーグで40試合に登板し、防御率1.00と安定した成績を残したものの、1軍では5試合、防御率9.64と振るわず、10月14日に再び戦力外を告げられた。「エイブルトライアウト2025」に参加し、NPBや韓国、台湾などからのオファーを待つ中で、オイシックス入団が決まった。
先発への転向は自ら志願した。プロでの10年間で通算254試合登板して先発はわずか1試合のみ。中継ぎでプレーしてきたが、海外での移籍先から求められるのは「先発投手」だと考えたから。「クビになって(新しいチームでは)先発で必要とされる可能性が高いと思っていたので、意識して先発の調整をしてきました」という。
オイシックス・武田監督は日本ハム時代、選手として一緒にプレー「自分の気持ちに素直に向き合ってみたい」
もう一つの大きな理由は、新しい自分で勝負したいため。「敵だったチームに入って、いろんな選手が話しかけてくれて仲間になれて、野球ができることに感謝した(オリックスでの)2年間でした。ただ、チームのことを思ってやるのも、チームメートのことを思ってやるのも大事なんですが、結果を残すのは自分なんです。変に大人になろうとしていたというか、大人になった部分もあるのですが、野球をやっているうちはわがままでいいんじゃないかと思って。2年間、ものすごくいい時間でしたが、もっと貪欲にいってもよかったんじゃないかなと」
大学時代は先発と中継ぎを任され、プロ入り後は中継ぎに専念し、中継ぎを天職と考えてきた。「大学時代から中継ぎは嫌だなと思っていたんです、今更ですが。結果も良くなくて、イメージがあまり良くなくて。プロに入ってからも、肩の作り方もわからず本当に大変だったんです。10年間で多少、慣れて何となくはわかるんですが、自分の中で理想とする形は先発で活躍することだと思っているんで」。チームの勝利のピースにはまろうと無理やり枠にはめていた自分を解放するには、新しい環境が必要だったというわけだ。
オイシックスには、縁もあった。武田監督とは、日本ハム時代、選手として一緒にプレーした。オリックスでの最後の登板もみやざきフェニックスリーグでのオイシックス戦で、登板時には相手ベンチから出てきた武田監督から「頑張れよ」と声を掛けてもらった。
「悪い言い方になってしまうんですが、今度は自分本位にやってみようかなと。自分が次に求めるものを手に入れるために何をやるか。その考えが大事な場面で最後の一押しになると思います。自分の気持ちに素直に向き合ってみたい」。32歳で迎える新たなチームでは、“ニュー井口”で勝負してみせる。
(北野正樹 / Masaki Kitano)