同期が続々戦力外…育成入団も覚悟「3年で終わる」 “暗黒時代”から始まった快進撃

国吉佑樹は2009年に育成で横浜(現DeNA)入団、2021年途中まで在籍
今季限りでロッテを戦力外となった国吉佑樹投手は、2009年育成ドラフト1位で横浜(現DeNA)から指名を受けてプロ生活をスタートさせた。2011年に支配下を勝ち取りプロ初登板を果たしたが、“暗黒時代”だった当時の本拠地は空席だらけ。2012年から親会社はDeNAに変わり、毎試合満員となるほどの人気球団になっていった。2021年途中にロッテにトレードで移籍するまでその“変化”を肌で感じていた。
熊本・秀岳館高時代、196センチの長身と抜群のポテンシャルで注目を集めたが、プロで入り直後はレベルの高さに衝撃を受けた。「144、5キロ出るくらいのレベルだったのが、急に150キロをバンバン投げるピッチャーもいるし、変化球もめちゃくちゃ曲がるし、コントロールもいい。全部のクオリティが高い。それが30人以上いるわけなので、凄いところだなと最初思いました」。
それでも「3桁の背番号を早く2桁にしたい」と必死に汗を流し、2011年7月末に支配下登録されると、8月27日に横浜スタジアムで行われた中日戦でプロ初登板を果たした。しかしこの年は5位に10ゲーム差以上をつけられての最下位で、この時点ですでに大勢は決していた。チームは2008年から5年連続6位に沈むなど、ファンからは「暗黒時代」と呼ばれていた。
「もちろん熱心に応援してくれるファンもいましたけど、当時は空席が目立ったりヤジが普通に通ってくる、球場中に響くくらいの感じでした。それがどんどんスタンドが青く変わっていって、今ではベイスターズのチケットは最も取れないと聞きます。昔は当日でもいくらでも取れたのに。比べたら全然違いますよね」
「入った当初は10年もできるなんて想像していなかった」
飛ばされたヤジが耳に届いたことは数知れず。「結果が悪かったり打たれたりするといろいろなことを言われましたよ。それまで5、6試合抑えていて次の試合で何点か取られて『お前いつも打たれやがって』みたいなことを言ってくる人がいるんですけど、『俺昨日まで抑えていたけどな』とか思いながら。ユーモアのあるヤジも、心無いヤジも、いろいろ聞いてきました」と懐かしい時代を思い出していた。
若手時代を振り返り「めちゃくちゃ練習もしましたし、取り組みで後悔していることはないですね。自分で選んでやって失敗したことはありますけど、それもいい経験ができたという学びの機会になりましたし、もっとこうしておけばという“やらなかった後悔”はありません」と言い切ることができる。2014年には49試合に登板して2セーブ14ホールドを挙げ、2019年には53登板でDeNA初の2位躍進に貢献するなど、チームに欠かせない存在となっていた。
育成で入団したベイスターズで、11年半ものときを過ごした。「入った当初は10年もできるなんて想像していなかったし、なんなら育成の3年で怪我があったりなんだかんだで終わるんだろうなと思っていて」と感慨深げに話す。厳しいプロの世界で「毎年辞めていく人がいたり、同期で入った子たちが辞めていったりした。いつかは自分もそうなるんだろうと思いながら、1年でも長くやりたいとやっていたら結果的に10年以上できた。11年半やったんですけど……あっという間でしたけどね」。プロ野球人生の礎を築いたベイスターズ時代は、特別な時間だった。
(町田利衣 / Rie Machida)