監督からついに“乱闘指令”「行けよ」 頭部に5回も…通算96死球に隠された流儀

近鉄時代の栗橋茂氏【写真提供:産経新聞社】
近鉄時代の栗橋茂氏【写真提供:産経新聞社】

元近鉄・栗橋氏が受けた96死球「何とも思わなかった」

「別にいいじゃないかと思ったんだけど……」。元近鉄のパワフル4番打者の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は、現役時代に通算96死球を受けた。「デッドボールは当てられても何とも思わなかったよ」と話すが、近鉄が関口清治監督体制だった1982年と1983年の2年間は14死球、11死球と数多く当てられており、周囲はピリピリ。あるとき「今日ぶつけられたら、行け!」と指令が出たという。

 近鉄の主砲・栗橋氏に対する他球団の厳しい内角攻めは当時、相当激しかった。「特に西武がきつかったね」という。「西武戦の時に、スコアラーが『クリ、1回、後ろを見てみなよ』というから見たら、キャッチャーが俺の後ろにいたもんね。あれじゃあ、ピッチャーはキャッチャーが見えない。そうしないとピッチャーもそこに放りきれなかったんだろうね。見えないところだったら仕方ないなってことでね。まぁ、そこに放りたくないピッチャーもいるしね」。

 さらに西武戦について「3連戦だったら必ず1回はあったね。東尾(修)さんなんか、根性あるから、ぶつけて、どこが悪いんだって感じだったもんね。ぶつけてこなかったのは永射(保投手)と森(繁和投手)だけだったね。(変則フォーム左腕の)永射は(ぶつけなくても)抑えられるからだし、(駒大で後輩の)森は後ろの方で投げていたから、走者を出せなかったからね」と振り返った。

 加えて「(西武の)松沼弟(松沼雅之投手)が『クリさん、勘弁してください』と言ってきたから『何が勘弁してくださいや』って聞いたら、手紙が来てカミソリが入っていたんだと。『それはお前がぶつけるからだろう』って言ったよ。誰かがそういう嫌がらせをしたんだろうね」とも。そんな話まで出てくるほどハードな闘いが続いていたようだが、だからといって、“死球攻撃”に対する怒りは、それほどなかったそうだ。

「俺、(通算で)5回、頭にぶつけられているんだよ。そんな人、なかなかいないでしょ。でも死球のことは別になんとも思っていなかったんでね。むしろ死球でリズムをつかんでいたよ。相手が俺にビビっているんだって思っていたからね。逆に、それ(死球)が全く来なくなって、普通に攻められたら、“そんな簡単に攻めないでよ”だったよ、本当に」と豪快に笑い飛ばすほどだ。

 そんな栗橋氏が死球後に投手がいるマウンドに向かったことがあった。「西武戦で(アンダースロー右腕の)高橋直樹さんが投げたとき。(試合前の)ミーティングで(監督の)関口さんに『クリ、今日、ぶつけられたら、黙ってないで(マウンドに)行けよ』と言われたんですよ。俺は別にいいじゃないかって思っていたんだけどね。まぁ、そんな感じで試合に入ったわけです。で、案の定というかね……」。試合ではきっちり死球を食らってしまった。

元近鉄・栗橋茂氏【写真:山口真司】 
元近鉄・栗橋茂氏【写真:山口真司】 

一塁に向かう途中に思い出した監督指令「あっ、行かなきゃ」

「背中にデッドボール。高橋さんのカーブだけどね」。その瞬間は監督指令をすっかり忘れていたそうで「そのまま一塁に歩いていった」という。それが途中で切り替わった。「ホームと一塁の間くらいでミーティングのことを思い出したんだよ。あっ、行かなきゃいけなかったんだ、ってね。それで、そこからパッとマウンドに一応行ったわけ。だから、少し間の抜けた変なふうにはなったんだよね」と説明した。

「みんなも出てきて、ちょっと乱闘になったよね。俺も高橋さんのところに行って、ちょっと押すくらいはしたけどね。スタンドからは『栗橋のヤクザぁ!』とか、そんなことも言われたよ」。武闘派イメージが強かったからだろうが、実際は、ただ監督指令を忠実にこなしただけ。嫌々やっただけのバトルだった。

「あの時、ホテルに帰ってから電話で高橋さんに謝ったんだよ。『すみませんでした』ってね」。監督指令で仕方なくマウンドに向かったことについては「そういうのは言わないよ」と、一切口にせず、ただただ詫びたそうだ。その辺も栗橋氏の“流儀”なのだろう。

 様々な“喧嘩伝説”がある一方で、退場歴は一度もない。どれだけぶつけられても「デッドボールは別になんとも……」。これもまた、豪傑の証しと言ってよさそうだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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