新人で21Sも…翌年ドラ1に奪われた守護神 怪我が招いた“現実”「実力の世界なので」

三上朋也はDeNA入団1年目に21セーブ&13ホールドをマーク
DeNAや巨人などで活躍した三上朋也投手は、2025年シーズン限りで現役を引退した。JX-ENEOS(現ENEOS)から2013年ドラフト4位で入団した1年目、65試合に登板して21セーブ、13ホールドを記録した。しかし、2年目は右肘の怪我で出遅れると、新人の山崎康晃投手が台頭。掴んだ抑えの座をわずか1年で譲ることになった。
1年目の2014年、三上は開幕メンバーに名を連ねた。即戦力投手として期待されるなか、重要な場面での“優先度”は2位入団の同期、平田真吾投手だった。しかし、すぐに状況は好転した。プロ2戦目となった4月2日の巨人戦(横浜)、2番手の三上は四球、四球、死球で無死満塁のピンチを招き、打席の高橋由伸外野手にも3ボールと絶体絶命のシチュエーションとなった。
「とんでもないボールばかり投げて、次ボールなら代えられる覚悟でした」。腹を括って投じた一球はボール気味だったが、球審はストライクをコール。次の球も“怪しい”ストライクでフルカウントとなり、「由伸さんも『なんだよ!』みたいな感じになって、結局、三振を奪ってワンアウトになったんです」。続く長野久義外野手は三ゴロ併殺に仕留めて切り抜けた。自らの制球難で招いた窮地だったが、なんとか火消しに成功した。
「コイツは肝が据わっている」。中畑清監督からの評価が一変した。「たまたま抑えることができた。シーズン序盤でインパクトがあったのかもしれないですが、そこが転機になった感じですね」。三上はチームの信頼を勝ち取った。
「今思えばかなり運の要素は強かったと思うんですよね。自分でコントロールできない部分がすごく大きかったので」
当時、DeNAの中継ぎ陣の中心だった山口俊、ホルヘ・ソーサ、大原慎司らが軒並み不調にあえいでいた。「誰が抑えやるんだよ、みたいな。一応、みんな順番でそれっぽいことをやってみて、もう三上で行こうみたいになった感じですかね」。ルーキーはクローザーに指名された。

プロの世界は「勝負しないと何も始まらない」
9回のマウンドは緊張の連続だった。「やられた時の『あぁ……』みたいなみんなの反応だったり、お客さんの反応だったり、その空気感に気持ちは落ちるじゃないですか。これがきつかったですよね」。だが経験を積むにつれ、味方や球場の雰囲気が投げやすさを生んでくれた。
準備のしやすさはセットアッパーや抑えならではの“特権”。ロングリリーフやワンポイントの大変さを見ていたからこそ、勝ちパターンの座を死守したいと思った。「だから逆にそっちはやりたくないなみたいな(笑)」。ひたすらミッションをこなしていく感覚。良くても悪くても感情を動かさないことが“防御策”だと早い段階で気づいていた。
チーム最多の65試合に登板し1勝4敗、防御率2.33。21セーブ、13ホールドの成績を残し、いい形で1年目を終えた。だが真価が問われる2年目に、いきなりつまづいた。春季キャンプで右肘を痛めて離脱。そこに彗星のごとく現れたドラフト1位ルーキーの山崎が抑えとして大ブレーク。確固たる地位を築いていった。
「戦えないモヤモヤ感はありましたね。結局、実力の世界なので。勝負しないと何も始まらない。勝負できるようになりたいとずっと思ってやっていました。ただ、自分の中では絶対に抑えをやりたいというこだわりはなかったです」
復帰は夏場までずれこみ、2年目は21試合の登板に終わった。しかし入団から5年のうち4シーズンで50試合以上に登板。与えられた場所で淡々と投げるスタイルで、タフネス右腕は長いプロ生活を歩んでいくことになる。
(湯浅大 / Dai Yuasa)