「お前がやれぇ!」指揮官にブチギレ絶叫 “一言”にカチン…悟ったレギュラー剥奪

元近鉄・栗橋茂氏【写真:山口真司】 
元近鉄・栗橋茂氏【写真:山口真司】 

近鉄で活躍した栗橋茂が“ブチギレた”相手

 豪打で野球ファンを沸かせた元近鉄の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)にとって痛恨だったのがプロ14年目、1987年4月16日の日本ハム戦(後楽園)での負傷だ。「セカンドにスライディングして靱帯を伸ばして……」。約2か月離脱し、復帰後は代打起用も増えるなど「あれで俺のレギュラー人生は終わった」と話す。さらに、その年の秋にはヘッドコーチから監督に昇格した仰木彬氏と、練習でのプレーを巡って“衝突”した。

 近鉄が岡本伊三美監督体制だったプロ12年目の1985年に開幕から「2番・左翼」で起用されて以来、栗橋氏は「ちょっとバッティングがおかしくなった」と話す。巻き返しを期した13年目の1986年は、南海からトレード移籍の新井宏昌外野手が2番に入ったことで主に「3番・DH」で使われ、4月19日の阪急戦(藤井寺)では2-2の9回に山田久志投手からサヨナラ弾を放つなどの活躍もあったが、1年間を通して打撃リズムを完全に取り戻すまでには至らなかったという。

 6月13日の西武戦(西武)では死球に怒った主砲のリチャード・デービス外野手が東尾修投手に殴りかかって「退場&10日間の出場停止処分」に。「あの時はデービスも8針縫ったからね。もう頭に来たんだろうね。ベンチに置いてあったアイスボックスのガラスをバーンって……」。デービス不在の間は4番を任され、3番に戻ってからも8月1日のロッテ戦(川崎)で村田兆治投手から節目の通算200号本塁打をマークした。

 その年(1986年)の栗橋氏のシーズン成績は打率.270、16本塁打、56打点。決して低い数字ではなかったが“違和感”があったということだろう。さらに翌1987年には悪夢が待っていた。4月16日の日本ハム戦。3番デービス、4番ベン・オグリビー外野手に続く「5番・DH」でスタメン出場していたが、日本ハム先発のドラフト1位ルーキー・西崎幸広投手から3打席目に二塁打を放った際にアクシデントが起きた。

「ライト線に打って二塁打だったけど、セカンドベースにスライディング、滑り込んだ際に靱帯を伸ばして……。そのまま東京から大阪に帰って、しばらく車椅子生活。あれも痛かったなぁ。(通算本塁打など)いろんな数字を伸ばす面でもね。まぁ、あれで俺のレギュラー人生は終わったよね。36歳になる年にね」。約2か月後の6月12日のロッテ戦(ナゴヤ球場)から1軍復帰したが、万全な状態ではなかったし、若手の成長もあって、そこからは代打が中心になった。

叩きつけたグラブ…指揮官に「コラァ! お前がやれぇ!」

 結局、1987年の栗橋氏は73試合の出場で、打率こそ181打数54安打の.298と3割近くの数字を残したが、大看板の本塁打はプロ3年目の1976年以来の1桁の6本、打点も19にとどまった。チームも最下位に沈み、岡本監督は辞任。後任の新監督には仰木ヘッドコーチが昇格した。そして、その秋に指揮官との諍いが発生した。

「(宮崎)日向での秋季キャンプ、レフトのノックでね。金村(義明内野手)がサードで、レフトは俺ともう1人、淡口(憲治外野手)がいたのかな。フェンス沿いのクッションボールでバックホームに返す。サードの金村がそれをカットに捕りに来るっていうね。その時に俺が(クッションボールを)待っていたら、変なところに当たって、フェンスにはっていったんだよね。で、それを追いかけていったら、仰木さんにマイクで『コラァ! 年寄り!』みたいな言い方をされて……」

 これに栗橋氏は思わずカチンとなったという。「『何! コラァ! お前がやれぇ!』ってグラブを叩きつけた。それで(練習をやめて)帰ってはいないよ。そんなんで帰んない、帰んない。その時、金村が中継プレーで来て、間に入って、この2人、何だろうなってなったらしいけどね。まぁ仰木さんも(周りを引き締めたりするためにも)いい格好をしたかったんじゃないの? 1番、俺が年上だったしね」。

 過去に栗橋氏は西本幸雄監督とも大喧嘩したこともあったが、その後は、むしろ、絆を強めていった。だが、仰木監督とはそこまでの関係にはならなかったようで、苦笑しながら「あの件は(その後も)尾を引いていたんじゃないかな。だから、いじめられたんじゃないの。監督の方が強いからね。使わなければいいんだから」。1988年、仰木近鉄1年目に、プロ15年目の栗橋氏は12年ぶりに開幕スタメンから外れた。悪い流れが続いた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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