トレード移籍も「何もできなかった」 期待された元西武守護神…今も残る辛さ「申し訳ない」

元西武の小野寺力氏は2011年シーズン中にヤクルトへトレードで移籍した
プロ4年目の2006年に西武の守護神を任された小野寺力氏(楽天投手コーチ)は、いきなり29セーブをマークした。翌2007年も抑えとして13セーブを記録したが、シーズン途中から調子を落とし、外国人投手にその座を奪われた。その後も登板機会は与えられるが、2011年シーズン途中にヤクルトへトレード。新天地では2年間でわずか10試合の登板に終わり引退。最後の2年間は「一番しんどかった」と振り返った。
西武の不動の守護神だった豊田清投手がFAとなり、巨人に移籍したことで、小野寺氏がつかんだ抑えのポスト。任された1年目を順調に終え、2年目もセーブは積み上げるが、走者を背負う不安定な内容も続いたことで、6月下旬にはアレックス・グラマン投手にポジションを譲る形となった。
「自分が結果を出していたら、そんなことはなかった。悔しい思いはありながらも受け入れて、置かれた場所でなんとか結果を出すことしか考えていませんでした」
2008年以降はグラマンの怪我離脱時に抑えを任されるなど登板機会はもらっていた。ホールドも記録していったが、2011年に入ると不調で1軍マウンドが遠ざかるなか、5月に鬼崎裕司内野手との緊急トレードでヤクルトへ移籍した。
西武では直前の2010年まで5年連続で40試合以上に登板していたタフネス右腕だったが、ヤクルトでは右肩のコンディションが上がらず、トレード年は6試合で防御率8.44。翌2012年は4試合で防御率7.71。オフに戦力外通告を受けた。
「本当にヤクルトのファンには申し訳なかったと思います。今でもその気持ちが強いです。全然、何もできなかったですから」
ヤクルトでの選手として過ごした2年間を神妙な面持ちで表情で振り返る。当時は辛辣な声も耳に届いたこともあるという。「一番しんどかったですね、この2年間が」。結果を出せない歯痒さと苛立ち、申し訳なさ……さまざまな感情は、今でも心に残っている。
(湯浅大 / Dai Yuasa)