阪神からトレード打診も「じゃあ辞める」 幻に終わった移籍…近鉄主砲の“後悔”

栗橋氏が明かす、実現しなかったトレードの“真相”
元猛牛戦士の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は近鉄一筋のプロ野球選手生活を送ったが、他球団への移籍の可能性が全くなかったわけではない。1988年シーズンから村山実氏が指揮を執った阪神へのトレード話があったという。実現しなかったのは「どうする?」と聞いてきた近鉄・仰木彬監督に対してピシャリと断ったから。「俺の中ではトレードっていうのはあまり良い印象がなかったからね」と当時の気持ちを明かした。
幻に終わった阪神移籍の件について栗橋氏はこう語った。「あれは阪神が村山監督の時で、シーズン中だったと思う。(試合前の練習で)ライトで打球を守っていた時に仰木さんが俺のところに来て、聞いてきたんだよ。『クリ、阪神から(トレードの)話が来ているけど、どうする?』ってね」。いきなり、そう切り出されて困惑。良い話のようには受け取れず、仰木監督に聞き返したそうだ。
「『どうするって何や? 俺を出すの』って仰木さんに言ったんだよ」。答えに窮する指揮官に対して、さらに畳みかけた。「『だから、俺を出すの?』と言って『じゃあ、辞めるわ』と言ったの。そしたら仰木さんが『分かった』って」。それで阪神へのトレード話は終わったという。「阪神は、近鉄で使われていないんだったら、ってことだったんじゃないかな。あの頃の阪神って長崎(啓二)さんや、柏原(純一)や田尾(安志)とか、結構よそから獲っていたからね」。
しかし、当時の栗橋氏はトレードに関して、出されるイメージ先行で「悪い印象しかなかった」という。「そりゃあ、その頃(のプロ野球界)でも、良いトレードはあったんだけど、俺の中ではあまり……。もう(近鉄に)入った以上は最後まで、っていうのもあったしね」。だからこそ、かたくなにトレード拒否の姿勢を打ち出したわけだが「今思えば、動いてもよかったのかなぁと思う」と苦笑した。
阪神が第2期村山政権となって1年目の1988年は、仰木近鉄の1年目であり、栗橋氏は12年ぶりに開幕スタメンから外れるなど、代打起用が増え、64試合の出場にとどまった。仰木監督の采配はシビアで、代打の代打を出されて交代というケースもあった。この年の近鉄は西武と優勝争いを繰り広げ、連勝すればVだった10月19日のロッテとのダブルヘッダー(川崎)に1勝1分で涙をのんだが、栗橋氏はその2試合ともに代打で使われ、2打数無安打と力を発揮できなかった。
新たに移籍話が浮上「西武だったら、行っていたかもしれない」
さらに移籍絡みの話として、栗橋氏はこう続けた。「平成元年(1989年)に俺は引退したけど、その年に大阪球場で近鉄と西武の試合があった(5月30日~6月1日までの3連戦)。その時にレフトを守っていたら(西武監督の)森(祇晶)さんが来て『仰木くんは元気かね』と聞かれて”この狐と狸が”って思いながら『元気じゃないですか』と答えたら『西武はね、ベテランを大事にするよ』って言われたんだよ。それって西武に来いってことだったのかなぁと思う。それ以上、はっきりとは言われなかったけどね」
阪神へのトレードに難色を示した過去があったから、西武への移籍話も具体化しなかったのかどうかは定かではないが、栗橋氏は「西武だったら、行っていたかもしれないなぁ。(東京・板橋区出身で)地元に帰れるチャンスでもあったしね」とも話す。現在も近鉄本拠地・藤井寺球場があった藤井寺市に住む栗橋氏だが、もしも阪神へのトレードを承諾していたら、もしも西武への移籍の道を選択することができていたら、状況は変わっていたかもしれない。
「俺ね、引退した後に、ABC(朝日放送)で村山さんに会った時に聞いたんですよ。『村山さん、あの時の(阪神からの)トレードの話は本当ですか』って。そしたら『本当だわ。お前に断られたわ』と言われた。『すみません。今、考えれば、行っとけばよかったなと思います』と言ったら『遅いわぁ』ってね」。栗橋氏は笑いながら、そう話したが、振り返れば、幻に終わったトレード劇もまた、思い出深い出来事となっている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)