激痛に耐えた甲子園の773球 「右肘が飛んだ」瞬間…誇らしき“史上最多”36失点

沖縄水産時代の大野倫氏【写真提供:産経新聞社】
沖縄水産時代の大野倫氏【写真提供:産経新聞社】

「キャッチボールの1球目」で右肘崩壊…痛み止めで凌いだ夏

 沖縄水産のエースとして1991年の夏、甲子園準優勝に輝いた元プロ野球選手の大野倫氏。185センチの長身から投げ下ろす剛速球で聖地を沸かせたが、その裏側には、今では考えられない壮絶なドラマがあった。伝説として語り継がれる「773球」の熱投。その引き金となったのは、最後の夏を迎える直前の出来事だった。

 中学時代から身長183センチと当時では規格外の体格を誇り、名将・栽弘義監督に見出され名門・沖縄水産の門を叩いた。一度は「5番・右翼」で2年夏に準優勝を経験したが、最上級生となり再びエースナンバーを背負った。悲劇が起きたのは3年春、ゴールデンウィークの熊本への遠征後だった。

「ダブルヘッダーで18イニングを投げて。沖縄に戻ってきて、練習をスタートしてキャッチボールの1球目でした。そこで肘が飛びましたね。抜けたというか切れたというか潰れたというか」

 ブチッという音ではなく、関節にロックがかかったような感覚。それでも、「当時は投手が1人で投げ抜くのが当たり前の時代」。中心選手としての責任感が離脱を許さなかった。痛みをごまかしながら県大会を勝ち抜いたが、準決勝で限界を迎える。

 栽監督に状態を打ち明け、準決勝と決勝は痛み止めの注射を打ってマウンドに上がった。「投げられるのが不思議でした。ただ、MAX144キロだった直球は120キロ台まで落ちました。そこからは緩急と変化球主体の投球に切り替えました」。

9回13失点でも完投…今も破られぬ「大会36失点」の記録

 満身創痍で辿り着いた甲子園。だが、日程の不運も重なり、3回戦から決勝まで4日連続の4連投を強いられた。日常生活では洗顔や着替えも左手で行うほどの激痛。「甲子園という場所は火事場の馬鹿力が出る」と決勝まで進んだが、相手は初出場初優勝を狙う大阪桐蔭だった。

 決勝戦の結果は8-13。大野氏は最後までマウンドを譲らず、大会通算773球を投げ抜いた。この大会での個人最多失点36は、今も破られていない記録だ。「もう破られないだろうなー。ある意味、誇っていいことですよ」。今となっては笑いながら話せる“勲章”となった。

「肘はもう伸びなかったですからね。でも悪いことだけじゃなかったですよ。打席では痛みからインパクトの時に手を離してバットのヘッドを使う事を覚えて。そこで打撃がひとつ覚醒したっていう」

 実際に大野氏の甲子園通算安打23本は、清原和博氏の27本、桑田真澄氏の25本、水野雄仁氏の24本に次いで歴代4位タイの記録を残している。それでも右肘は限界を迎え、診断は疲労骨折、剥離骨折、靭帯断裂にネズミ。投手の肘に起こりうる故障が一度に襲いかかった状態だった。

 エースがエースたる責任を全うした証。その代償として右肘は限界を超えたが、この経験はその後の大学、プロ野球人生に大きな転機をもたらすことになった。

(木村竜也 / Tatsuya Kimura)

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