新聞で知った自らのトレード 巨人放出が転機でも…感謝する原辰徳氏からの“サウナ特訓”

巨人時代の大野倫氏(右)【写真提供:産経新聞社】
巨人時代の大野倫氏(右)【写真提供:産経新聞社】

怪我の功名で「打者転向」 サウナで受けた原辰徳ヘッドの素振り指導

 怪我を乗り越えて掴んだプロ野球人生だった。沖縄水産で甲子園準優勝を果たした大野倫氏。1人で773球を投げ抜いた右肘は限界を迎え、野手として大学、プロと歩みを進めた。波乱万丈の野球人生と、巨人時代に受けた“衝撃の指導”を振り返った。

 高校野球引退後、大野氏は肘の手術を受け、九州共立大へ進学した。1年間のリハビリ期間を経て野手に転向したが、高校時代の故障が思わぬ「怪我の功名」をもたらした。「肘が曲がって伸びないので、インパクトの瞬間に右手を離してバットのヘッドを使う打ち方を覚えたんです。そこで打撃が覚醒しました」。

 大学2年で日本代表に選出され、小久保裕紀氏や仁志敏久氏らと共に日の丸を背負った。4年時には福岡六大学リーグで当時の新記録となる通算18本塁打を放ち、プロからの調査書は8球団届いた。そして1995年、ドラフト5位で憧れの巨人に入団することになる。

「巨大な組織の凄さに圧倒された」という若手時代。寮の設備やメディアの注目度は別格だった。厳しい規律の中で揉まれる日々。そんな中、忘れられない思い出がある。当時ヘッドコーチを務めていた原辰徳氏とのエピソードだ。

「原さんには本当にチャンスを頂きました。ある時、球場のサウナでたまたま一緒になったんです。そうしたら、素っ裸のままで『こう立ってみろ、こう振るんだよ』って熱血指導が始まって(笑)。バットもないのに構えてね。いい思い出ですよ」

新聞で知ったトレード通告…引退後は「野球の選択肢」を残す活動へ

 憧れの球団で期待に応えようと奮闘したが、巨大戦力の中で1軍定着は至難の業だった。プロ5年目のオフ、転機は突然訪れる。朝、新聞を見ると自分のトレード記事が出ていたのだ。球団からの連絡はその直後だった。

「新聞が先でしたね(笑)。でも、当時の強力な巨人外野陣に割って入るのは厳しいと感じていたので、地元・福岡のダイエーホークス(現ソフトバンク)への移籍はチャンスだと前向きに捉えました」

 移籍1年目は開幕戦でスタメン出場しタイムリーを放つなど好スタートを切ったが、5月の半ばで2軍落ちを経験。そのきっかけとなったのが、代打での見逃し三振だった。それが1軍での現役最後の打席となるわけだが、その裏には今でも忘れられぬ王貞治監督からの厳しい“金言”があった。

(木村竜也 / Tatsuya Kimura)

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