捨てた大企業の年収1000万…戦力外寸前→ドラ9指名 向けられた疑問に「安定って何?」

Full-Countのインタビューに応じた巨人・高梨雄平【写真:荒川祐史】
Full-Countのインタビューに応じた巨人・高梨雄平【写真:荒川祐史】

「逆算力――“才能”に挑んだ高梨雄平の生存戦略」第1回

 社会人野球で戦力外寸前からドラフト9位でプロ入り、やがて1億円プレーヤーにのし上がった。巨人・高梨雄平を支えたのは才能でも根性でもない。感情を排し、確率と役割を読んだ独自の思考。Full-Countはインタビューシリーズ「逆算力――“才能”に挑んだ高梨雄平の生存戦略」と題し、異端のキャリア戦略を追う。第1回はドラフト4か月前に下した決断の裏側。大企業で年収1000万円が約束された将来か、数年でクビのリスクがあるプロ野球選手か。人生の岐路で何を考え、何を捨てたのか。(取材・文=神原英彰)

 12月、クリスマスが近づく冬晴れの午後。1時間のインタビューを終えた高梨は「プロ野球選手」の肩書きには少し不釣り合いな場所にいた。

 積年の油で、やけに床が滑る大衆中華チェーン店のカウンター。

「自分より才能があって、びっくりするような凄いヤツがプロ野球にはたくさんいましたよ。でも、ちょっとした世界の捉え方でその先が変わる。それを『センス』と名前をつけるのか分からないけど、そうやってチャンスを逃す人がいた。だから……」

 680円のレバニラ炒めをかき込む箸を止め、ポツリとつぶやいた。

「だから、なんとかいわゆる1億円プレーヤーくらいにはこぎ着けられたんじゃないですかね」

 平日のランチタイム過ぎ。客の途絶えた店内に響いた言葉は、この日のインタビューを通した問いへの「答え」のように聞こえた。

 時を2時間ほど巻き戻す。

 ジャイアンツ球場、応接室。高梨のキャリアを紐解くインタビュー。話は「プロ入りの転機」から始まった。

「あの時、どうしてもプロになりたかったんですよね」

 社会人野球・JX-ENEOS(現ENEOS)2年目の2016年6月。高梨は小3で初めて白球を握って以来貫いてきたオーバースローから腕の位置を下げた。

 東京六大学の早大で3年春にリーグ史上3人目の完全試合を達成したが、以降は怪我やイップスに苦しみ、入社後も登板機会はほぼゼロ。給料をもらって野球をする立場になりながら、やっている仕事はバット引き、ビデオ係……。毎月25日に届く給与明細と、空っぽの投球成績を見比べ、心が痛んだ。「給料泥棒みたいな感じですよ」

「サイドスロー転向」という一大決心をしたのは、戦力外寸前の崖っぷちだった。

「我を通すより、プロになれる確率が高い。野球が終わった時、どちらが後悔しないかを考えました」

 ドラフト会議のわずか4か月前のことである。

一大決心の裏側「競合がいない方に自分を当てはめた」

 プロ野球選手になる。その目的に対し、サイドスローという手段を選んだ理由が彼らしい。

 当時の野球界を見渡してみると、左投手で140キロを超えるサイドスローはほぼいない。「ここならワンチャンスある」。才能で椅子取りゲームをするプロ野球。真っ赤なレッドオーシャンで「左のサイドスロー」にわずかな“青さ”を感じ、賭けに出た。

「野球を始めてからずっと『自分』という商品の価値を高め、使ってもらうことの繰り返し。ベクトルが自分に向いていた。でも市場を分析し、競合がいない方に当てはめ、必要とされるところに自分の形を変えた。ベクトルが外を向いたことが一番の変化でした」

 これが功を奏し、楽天に指名を受ける。「もし、指名がなければ野手に転向してもらうつもりだった」。ドラフト後の夜、当時の監督にそう告げられた。

 もっとも、指名順位は9位。支配下87人で下から3番目。お世辞にも高いとは言えない評価。社会人野球の強豪なら、下位指名は事前に断るケースが珍しくない。特にJX-ENEOSは大企業であり、40歳の平均年収は1000万円超とされる。

 それでも、高梨は「何位でもプロに行く」と順位縛りを自ら解いた。

 生涯賃金、クビになるリスク。すべてを想定した上での決断だったが、決して全員に祝福される空気ではない。「安定を捨てるなんて」と疑問を向ける人もいた。ただ、本人は当時も今も思っている。

「安定って何ですか?」と。

「当時、僕が言われていた形での安定は『大企業=安定』だった。でも、それって企業に依存しているだけで自分の力じゃなくないですか? クビとか、何かの拍子に肩書きが外れた時、何が残るのか。残った部分こそが本当の安定じゃないですか?」

 誰かが作り出した「安定」という幻想に、目を向けなかった。

巨人・高梨雄平【写真:矢口亨】
巨人・高梨雄平【写真:矢口亨】

サイドスロー転向に怖さなし「感情が邪魔になる」

 もうひとつ興味深いのは、プロへの動機をさらに強めたきっかけだ。

 高梨はバツが悪そうに笑う。「僕は『社会人が無理だ』ということが先だったんです」。スーツを着て出社し、夕方まで業務をこなす。そのルーティンを40年続ける自分が、どうしても想像できなかった。

 腹が決まったのは社会人1年目。社業で出社する際、武蔵小杉から乗ったJR横須賀線で初めて満員電車を経験した。屈強な肉体も、無力化された。押し潰されながら東京駅まで向かう車内。「ここから抜け出すにはプロ野球選手になるしかない」と思った。

「どちらかといえば、ネガティブな動機から本当の自分の中の熱量、動力が生まれた。決して褒められたものじゃないですけど……」

 人生の選択は、綺麗事だけでは語れない。向いていないことから“逃げる”も、時には理由になる。

 サイドスロー転向は、過去の自分を捨てる選択でもあった。怖さはなかったのか。そう尋ねると、その発想自体が不思議という表情を浮かべ、即答した。「うーん、僕はないっすね、一切」。理由は、シンプルな行動原理があったから。

「感情って、そういう時に邪魔になるんです。例えば、転職でも何かと理由をつけてやりたいことをやれない人もいた。要因の多くは感情の部分。だから、感情を介入させない。仮説を立て、方法が見つかったら、それをやるだけと決めていたんです」

 情熱を、合理で制御する。それが、高梨のやり方だった。

 2016年10月20日。この日のドラフトを境に人生は変わっていく。ただ、指名後の記事は皆無に等しかった。後の1億円プレーヤーとなるプロ野球人生は、誰にも注目されることなく、静かに幕を開けた。

(神原英彰 / Hideaki Kanbara)

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