「ストレート投げろ」大物助っ人が激怒 若手でも容赦なし…“騙し打ち”に爆発寸前

元広島・紀藤真琴氏【写真:山口真司】
元広島・紀藤真琴氏【写真:山口真司】

1987年5月28日のヤクルト戦で1軍デビュー…実質”1年目”は0勝3敗&防御率3.56

 中京高(現・中京大中京)から広島入りした紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)のプロ初登板は4年目の1987年5月28日のヤクルト戦(広島)だ。4-4の8回からマウンドに上がり、2回無失点。打者8人に投げ、2安打を許したものの、5三振を奪う鮮烈デビューだった。その試合では当時、大物外国人選手と話題だったボブ・ホーナー内野手からも三振を奪ったが、シーズン中には、そのヤクルト大砲助っ人を激怒させたこともあったという。

 紀藤氏はプロ2年目(1985年)オフに血行障害で手術を受けた。それが癒えたのも束の間、3年目(1986年)は右肩関節唇を痛めて、登板不能状態に陥った。一時は現役引退も覚悟するほどだったが、東京・新宿の小守治療院の先生による鍼治療およびカープトレーナー陣のバックアップによって肩の可動域が広がり復調の足掛かりを得た。4年目は春季キャンプからゆっくり、焦らずに調整に励み、2軍戦で登板できるところまで回復。そして5月下旬に1軍昇格となった。

「(2軍投手コーチの)外木場(義郎)さんからだったかな。『明日から1軍も行くことになったから』って言われて『えーっ』て思ったんですよね。そりゃあ、そうですよね。去年は肩を壊していたヤツですから。2軍にいる諸先輩方からも『何でお前が1軍なんだ』ってやっぱり言われましたもん。でも自分が決めたわけじゃないし、何とも答えようがなくて『すみません』っていうしかなかったんですけどね」

 2軍で結果を出していたからこその昇格だったが、紀藤氏自身も「よくそんなに早くって感じでした」という。「スピードは最初135くらいしか出ていなかったし、そう簡単に(球速が)戻るわけがないと思っていましたしね。でも、当時の(初登板)映像を見たら146くらい出ていたんですよね。今、考えてもよく戻ったなぁって思います。本当にトレーナーの方々のおかげですよね」。実際、初の1軍登板では病み上がりとは思えない投球を見せた。

 本拠地・広島市民球場での5月28日のヤクルト戦。7回裏に2点を追う広島が、4-4の同点に追いつき、直後の8回からの登板だったが、臆することなく腕を振った。最初の対戦相手の八重樫幸雄捕手から三振を奪うなど、2イニングを投げて無失点。試合は9回4-4の引き分けで終わったが、紀藤氏は打者8人に投げ5奪三振の力投だった。「覚えていますよ。ホーナーとかね」と笑みを浮かべながら話した。

ホーナーをフォークで三振…直前に「ストレートを投げろ! ヤングボーイ!」

 MLBブレーブスの主軸打者だったホーナーは1987年4月下旬にヤクルトに入団。いきなり阪神戦2試合(5月5、6日、神宮)で6打数5安打、4本塁打、5打点と爆発した。その豪快な打棒で“黒船襲来”“ホーナー旋風”と言われ、一時はどれだけ打つのかと話題になった(結果は93試合の出場で31本塁打、打率.327、73打点。オフに退団)。紀藤氏も「それはテレビで見ていましたよ」という。「そんな人といきなり対戦でしたから、びっくりしましたけどね」と振り返ったが、見事に三振で仕留めた。

「フォークで三振でしたね。ホーナーとの対戦は全部三振だったと思いますよ」と言い、懐かしそうにこう続けた。「その次の対戦でフォークを投げたら、ホーナーが怒ったんですよ。ヘルメットをパーンってやってマウンドを指差して『ストレートを投げろ! ヤングボーイ!』って。で、自分は『はい』って(ホーナーに)言ったんですけどね、(捕手の)達川(光男)さんの(次の球の)サインがフォークだったんですよ。それでフォークを投げて三振。もう真っ赤な顔をして怒っていましたねぇ」。

 1987年の紀藤氏は18登板で0勝3敗、防御率3.56。3敗はプロ初先発の10月4日の中日戦(広島)など10月に入ってから4試合に先発し、うち3試合で喫したものだが、10月10日の巨人戦(広島)では巨人・桑田真澄投手と投げ合って10回1/3、3失点、自責点1での敗戦投手など内容は翌年につながるものだった。ホーナーを怒らせても動じなかった強心臓も武器にして、先発も、リリーフもこなす1軍戦力としての立場を確立していった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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