広島で感じた選手生命の“危機”「体が動かない」 弱音を阻んだ伝統…修羅場がもたらした財産

前年にリーグ最多61登板…4月早々に脇腹痛で離脱
とうとう故障リタイアした。元広島右腕で先発、リリーフの両方をこなした紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)はプロ7年目の1990年4月21日のヤクルト戦(広島)登板中に脇腹を痛めて、約2か月、戦線から離脱した。前年(1989年)に61登板で90回2/3を投げた疲労などが一気に押し寄せてきた結果だったという。それでも復帰後は再びフル回転。「自分の選手生命をかけて投げていました」と話した。
1990年の紀藤氏は4月7日の開幕・阪神戦(広島)に4番手で登板して1回無失点。3登板目の4月17日の中日戦(ナゴヤ球場)では5番手で3回無安打2四球の無失点でシーズン1勝目をマークし、そこから中1日の4登板目の4月19日の同カードでは先発・川端順投手を3-0の8回からリリーフし、2回1失点でセーブを挙げた。もはや、チームには欠かせない投手にまで成長していたし、首脳陣も頼りにしていた使い方だった。
しかし、さらに中1日で4月21日のヤクルト戦、7-9の9回に4番手で登板した際に脇腹痛を発症させてしまった。1回、打者5人に投げて1安打1四球無失点に切り抜けたが「(4人目打者の)秦(真司)さんに投げた瞬間に“脇腹がああ”ってなったんですよ」。気力のみで続投し、点を与えなかったが、それがもう限界だった。「トレーナーに言って『たぶんこれ肉離れしていますよ』という話になって、登録抹消になりました」。
無念の離脱となったが、その一方で「“ああ、これでやっと休めるわ”とも思いました」という。前年(1989年)は61登板、4勝1敗7セーブとフル回転の大活躍。若手のため試合前には外野フィールドを走りながら打球を追うアメリカンノックを課せられ、ヘトヘトになった上でマウンドにも上がる過酷な状況をクリアしての結果で「脇腹を痛めたのも前の年からの疲労ですよね。その年(1990年)のキャンプでも普通に投げ込みもしていましたし……」とも話した。
とはいえチームにとっても紀藤氏の不在は痛い。「(広島監督の山本)浩二さんに鍼の先生を紹介してもらって、まずそこへ行け、と言われました」という。それも首脳陣が早期復活を願ってのことだろう。「そこで鍼を打ってもらって、コルセットをして……。1か月くらいは休むしかなかったんですけど、たまに容体を教えに球場に来いとも言われていました」と話し、苦笑しながら、さらにこう続けた。
「球場へ報告に行ったら、たまたま(ヘッドコーチの)大下(剛史)さんがいて『おう、ワレぇ、大丈夫かぁ』って、ここ(患部)をグーってされてねぇ……。まだ痛いんですよ。くしゃみもできない。トイレで力むこともできない。鍼に行けって言われて、レントゲンはとっていなかったんですけど、たぶん、ヒビとかが入っていたんじゃないかなぁ。呼吸もしんどかったんでね、痛くて……」。そんな状況から6月中旬には1軍に戻ったが、よくそのくらいの期間で復帰できたと思えるくらいだったそうだ。
自分でマッサージ…広島伝統の「痛い、かゆいを言わない」
「確かあの時、2軍で何試合か投げたんですよ。痛いなぁって思いながらね。その時も痛かったんですよ。でも、とにかく早く上がって来いって、そればっかりでしたからね」。見切り発車の部分もあったかもしれないが、1軍に復帰して最初の登板の6月12日の中日戦(広島)では0-4の7回から2番手で2回無失点、しかも2三振を含む打者6人斬りの無安打投球と結果を出した。すると6月13日の同カードにも連投で登板(2回1失点)と再びフル回転がスタートした。
「あの頃の自分は使い勝手がよかったんでしょうね」と紀藤氏は推測するが、約2か月の離脱期間がありながら、この年も36登板、3勝1敗1セーブ、防御率2.58の成績を残した。8月半ばには2試合に先発起用もされた。病み上がりの状況であり、コンディション維持も含めて「いやぁ、ホント大変だったなぁ」としみじみと話す。
「若手はマッサージなど必要ないっていう時代ですからね。諸先輩方が多いし、実際、なかなかしてもらう機会もないわけですよ。だから野球のボールを背中とか腰に当てて、ゴリゴリゴリゴリやって自分でマッサージしていましたからね」。それに加えて、試合前のアメリカンノックも継続だ。「厳しかったですよねぇ。疲弊しているのがわかっていても、そういうことですからね。自分も体が動かないなって思いながらアメリカンノックを受けていましたしね」。
まさに試練の連続だった。「今だから笑って話せますけどね。試合には自分の選手生命をかけて投げていたわけですよ。まぁ、これもカープ伝統の、痛い、かゆいを言わないっていうね。投げさせてもらうだけありがたいと思えっていうような……。でも、あの頃があったから、その後があったのも確かなんですよ。振り返ればカープのおかげなんですからね」。今の時代には全くマッチしないことばかりでも数々の修羅場を乗り越えたことは紀藤氏にとって大きな財産になっている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)