大喧嘩勃発で生まれた本当の夢 親父と交わした約束…選抜注目“二刀流”右腕の原点

昨夏、甲子園で登板した高川学園・木下瑛二【写真:加治屋友輝】
昨夏、甲子園で登板した高川学園・木下瑛二【写真:加治屋友輝】

DH制が採用される選抜大会…高川学園のエース・木下瑛二は“二刀流”

 プロのスカウトも注目する逸材が“夢”を語った日――。3月19日に阪神甲子園球場で幕をあける「第98回選抜高校野球大会」の選考会が30日、大阪府内で行われ、山口・高川学園が夏に続いて聖地への切符を手にした。今大会から守備につかない「指名打者(DH)」を置くことができるようになるが、同校のエース・木下瑛二投手(3年)はバッティングにも定評があり、父・耕三さんは「どちらでも頑張ってほしい」と活躍を期待した。

 小学6年生のときにはプロへの登竜門ともいわれるNPBジュニアトーナメントへ、中学2年時には中学硬式野球の最高峰であるジャイアンツカップに出場している木下。高川学園では、投げては最速146キロの力強い真っすぐと変化球で翻弄するエース、打っては長打力がありクリーンナップを任されている。

 幼かった頃の息子について耕三さんは「全国大会で負けはしたけど、NPBジュニアトーナメントのときに(実力の)位置が分かったというか。でも(周りより上手だから)安心とは思えなくて、今でも大丈夫かこいつ? と思うばかりですよ」と振り返る。

 忘れられない出来事がある。中学に入学してすぐの5月、中間テストで「人に言えたもんじゃない点」をとった。「野球だけができるより、ちょっとだけでも勉強もできた方が、大人になったときの選択肢が広がるじゃないですか」と語る耕三さん。テストの点数をきっかけに家族全員を巻き込む大喧嘩へと発展したという。

将来を案ずる親心

 雨降って地固まるだ。大喧嘩勃発から数日後に、耕三さんは息子から話を切り出された。「怒られて数日かけて自分で考えたみたいです。『プロ野球選手になりたい』って言ってきたんですよ。それまで(ヒーローなどの子どもらしい夢すら)聞いたことがなかったから……ちょっと驚きました」。12歳の瑛二による意を決した告白だった。

「分かった。でも、提出物はちゃんと出せ。評定で1つでも“1”をとったら野球はやめさせるからな。あと、どんな仕事をするにも人間関係は大事だから先生に嫌われないように過ごすこと……。そんな風に、瑛二を応援はするけど、たくさん約束もしました」

 親子の足並みがそろい、約束を守りながらスキルを磨いた瑛二は、全国レベルの強豪校からいくつも勧誘を受けるほどの選手になった。今では「高卒プロ入り」が夢であることを、報道陣に対して胸を張って話せるほどまでにたくましくなっている。

「夏は、審判の判定に対して心の整理がつかないとかメンタル面での弱みがあって、ズルズルとして(負けて)しまったけど、秋の大会前にアドバイスをしたら、それを意識してくれたかは分かりませんがいい成績(中国大会準優勝)が残せたしね」

 出場校の選考が終わった30日の夕刻、山口県へ向けて車を走らせる耕三さんの声は明るかった。「松本(祐一郎)監督からも信頼されているし、高校野球のうちは二刀流で、前評判以上のプレーで、チームを引っ張っていってほしいね」。その延長線上にドラフト会議がある。耕三さんはあの日、息子が打ち明けてくれた夢が叶うことも心から願っている。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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