中日→ロッテ移籍も不満だらけ 「本当にだらしなくて情けない」…猛省した新天地での日々

Full-Countのインタビューに応じた元中日・山北茂利氏【写真:木村竜也】
Full-Countのインタビューに応じた元中日・山北茂利氏【写真:木村竜也】

自身の力不足も…中日で秘めていた思い「トレードで出してくれ」

「今思えば、本当に恥ずかしい考え方をしていたなと思います」。中日などでプレーした山北茂利氏が、若き日の振る舞いを申し訳なさそうに振り返った。プロ野球で2度のトレードを経験し、中日、ロッテ、横浜(現DeNA)と渡り歩いた左腕。移籍劇の裏には、若さゆえの“未熟さ”と、球団ごとの驚くべき“文化の違い”があった。

 4年目の2003年は2年連続で50試合以上に登板するなど順調にプロの階段を上った。しかし、球宴明けから失速。「最後はヘロヘロでした。130キロ台後半とかで。若かったのでマッサージとかもしないし、『元気いっぱいだから大丈夫でしょ』みたいな考えでしたね」と自嘲気味に振り返る。その“つけ”は翌年に響くこととなる。

 2004年、落合博満氏が新監督に就任。この年の山北氏は、1軍で数試合投げたものの、2軍暮らしが続いていた。「ファームでは抑えているのに1軍に上げてもらえない。当時はなんで? と納得がいきませんでした」。前年の「へばった」感覚から脱却できず、球速は140キロも出ない状態。そんな中継ぎ投手を1軍には置けないという編成上の理由を理解できず、不満を募らせていた。

「大した努力もしてないのに『使ってもらえない』と。そんな中、2004年オフにロッテへのトレード移籍が決定。「チャンスだ」と思って飛び込んだ新天地は、驚きの連続だったという。

中日とは「真逆」、ボビー流に受けたカルチャーショック

「中日は上下関係が厳しく、プレッシャーもあった。でもロッテはすごくフレンドリーで、アメリカン。真逆と言っても過言ではなかったです」

 当時、ロッテの監督はボビー・バレンタイン氏。アメリカンスタイルの雰囲気に面食らった。年下の選手が黒木知宏氏を「ジョニー」と呼び、山北氏も「ランディ」と、あだ名で呼ばれた。「最低限のリスペクトがあれば呼び方は自由」。あまりの“振り幅”に衝撃を受けた。

 何より違ったのはバレンタイン監督が発する言葉だ。「お前が必要なんだ」。ストレートな愛情表現に、日本人的な感覚をもつ山北氏は照れくさかったと笑うが、「自分の思いを伝えることを恥ずかしがらずに言う大切さ」を学んだ。

 それでも、まだ根本的な「甘え」は抜けきっていなかった。ロッテでは開幕戦に登板したが、1軍出場はわずか7試合。一方で、2軍では43試合に登板し防御率.1.66。ファーム日本一にも輝いた。理想とは違う“現実”に「抑えているのに……」と、再びトレードを望む自分がいた。

 2006年に2度目のトレード通告。「2軍選手は他球団の動向を見て、『あそこならチャンスあるかも』なんて計算するんです」。今思えば恥ずかしい過去。「大した努力もしていないくせに、現状に不満を持つこの2年間は本当にだらしなく情けないなと思います……」。

 行き先は横浜(現DeNA)。中日OBも多く、セ・リーグに戻れる喜びで「よっしゃ」と思ったという。「ロッテは楽しかったけど、自分が(現実を)受け入れられていなかった」。3球団を渡り歩き、引退を意識し始めた頃、ようやく山北氏は「自分が悪かった」と、自らに矢印を向けられるようになったという。プロで抱いた苦悩は、山北氏の心を成長させた。

(木村竜也 / Tatsuya Kimura)

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