阪神なら「潰れていたかも」 想定外のパ球団1位…ドラフト目玉が悩み抜いた15日間

近鉄に入団した太田幸司氏【写真提供:産経新聞社】
近鉄に入団した太田幸司氏【写真提供:産経新聞社】

近鉄入団の決め手は「スカウトがすごく優しくて」

 三沢高・太田幸司投手(現・野球評論家)の近鉄入団発表は1969年12月22日に大阪市の近鉄本社で行われた。その年の甲子園大会を沸かせた国民的大スター右腕の加入だけに、記者会見は近鉄・佐伯勇オーナーも同席するなど大々的なものだった。しかしながら、11月20日のドラフト会議で1位指名され、12月8日に合意するまでに太田氏は悩んだという。大学進学も視野に入れていた中でのプロ入り決断には担当スカウトの熱意と家庭事情などが関係していた。

 大学か、プロか。太田氏はドラフト後も進路問題で揺れていた。とにかく1位指名してくれた近鉄を知らなさすぎた。「まずはじめに、近鉄ってどんな感じなのって、そこを把握することからでしたね」。1969年の三原脩監督率いる近鉄が阪急と激しい優勝争いを繰り広げていたことも、その時に知ったという。「阪急との最後の4連戦(10月18日~20日、18日は西宮でダブルヘッダー、19日は藤井寺、20日は日生)で2勝すれば初優勝ってところまで行ったけど(3連敗して)2位だったということもね」。

 翌1970年には大阪で日本万国博覧会(万博)が開催。「“万博の年に前年2位の近鉄が初優勝できるか。そこへ太田が入れば、盛り上がる”とか、そんな話とかいろいろ聞いたりもしたけど、なかなか決められませんでした」。報道陣に進路について聞かれるたびに「五分五分です」と答えた。「『いやぁ、まだちょっと五分五分です』ってね。あの時に流行語大賞があったら、候補になっていたかも。それくらい毎回『五分五分です』と言っていたんでね」と笑った。

 そんな中で近鉄入りを決めたのは「(近鉄担当スカウトの)中島さんがすごく優しくて、熱心で、その人にひかれたってこともありましたし、両親の体調のこともあったんです」という。「(1968年の)2年の夏は甲子園に親父(暁さん)もお袋(タマラさん)も観戦に来てくれたんですけど、最後の夏の甲子園の時は2人が同じ部屋に入院していて、僕は病院から『甲子園に行ってきます』と言って向かったんです」。

 甲子園での熱投は入院中の両親を元気づけるためでもあったわけだが「病院では僕の試合のテレビ中継を決勝まで両親は見せてもらえなかったそうなんです。見て血圧が上がったり、心臓が悪かったのでワーッとなるからってね。ただ決勝の時だけ(三沢)市内の電気屋さんがでかいテレビを持って来て、病室に入れて、看護師さんやみんなが集まって見て、盛り上がったらしいですけどね」と話す。

元近鉄・太田幸司氏【写真:山口真司】 
元近鉄・太田幸司氏【写真:山口真司】 

近鉄入団で盛り上がったパ・リーグ

「まぁ、そんな家庭の状況もあってね、大学の方もいろんな条件はあったにせよ、やっぱりプロでお金を稼いだ方が、っていう……。僕自身、最終的にはプロでやりたいっていう気持ちはあったし、大学に行って、もしも肩を壊したらっていうのもあった。バッターは大学、社会人で経験を積むのもいいと思うけど、ピッチャーはどこで故障するか、わからないからね。行ける時に行った方がいいって今でも僕はそう思いますけどね」

 考え抜いた末に近鉄入りを決断した。背番号は「18」に決まった。「本当は(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番がよかったんですけどね。先輩(山田勝国外野手)に11番をつけている人がいたのでね。球団からは『何番でも好きなやつをやる』と言われたけど、先輩がつけているのを取るわけには……。18番はその時、たまたま空いていたので、じゃあ18番でって、つけました」。

 高校野球同様にフィーバーは近鉄でも続いた。「入団会見に佐伯オーナーが同席したこともすごい話題になりましたしね。でも振り返ってみれば、近鉄でよかったのかなと思いますよ」と太田氏はいう。ドラフト前は密かに村山実監督兼投手の阪神に行きたいとの思いを抱いていたが「もしも僕が阪神に行っていたら、ひょっとしたら潰れていたかもしれない。あまりの周りのアレに……ね」。当時、注目度が低かったパ・リーグの近鉄でさえも大盛り上がりだっただけに、人気の阪神ならどうなっていたか、というわけだ。

 何しろ太田氏と同じ年の阪神ドラフト1位の上田二朗投手(東海大)は入団1年目のキャンプで「“ファンは太田幸司と田淵(幸一捕手)のバッテリーを望んでいた”と新聞に書かれて悔しい思いをした」と話すほど。「その話は上田さんに聞きました。『俺はお前のおかげで新人の時にえらい目にあったんやで』ってね。でも阪神で20勝(1973年に22勝)されましたからね、上田さんが阪神でよかったんですよ」。運命のドラフト会議によって、近鉄との縁ができた太田氏は、バファローズ戦士としてプロ人生を歩んでいく。それは尋常ではない人気との“戦い”にもなった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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