2017年に逝去した主な日米選手、球界関係者 コーチ、名投手の早すぎる死も
球史に名を刻んだ人々の訃報
2017年も残り1日となった。今年も野球界で多くのドラマが起こり、新たなスターが出現する中で、多くの野球選手、関係者が世を去った。球史に名を刻んだ故人に哀悼の意を表し、ここで改めて振り返ってみたい。
○1月2日 ダリル・スペンサー 88歳
ニューヨーク・ジャイアンツを手始めにメジャー4球団で二塁手としてプレーし通算901安打105本塁打、打率.244を記録。1964年に阪急ブレーブスに移籍し、強打とアグレッシブな守備、走塁でNPBに衝撃を与えた。1965年はサイクル安打を記録。当時日本プロ球界はこの記録を知らず、スペンサーが日本に教える形となった。この年、野村克也と激しい本塁打争いをするが、交通事故で断念。野村は戦後初の3冠王となった。スペンサーはNPBで通算615安打152本塁打、打率.275を記録した。
○3月15日 龍隆行 75歳
法政大学から東京オリオンズ。中継ぎ左腕として2勝2敗、防御率4.58。1968年に引退後は、ボウリング界に転じ、日本を代表するプロボウラーとなる。
○4月5日 西三雄 78歳
丸善石油から大毎オリオンズ。右の中継ぎ投手として26勝25敗、防御率3.14。1968年に引退。西鉄、クラウン・太平洋・西武ライオンズにコーチ、スカウトとして長く勤めた。
○5月5日 西尾慈高 83歳
立命館大学から大阪タイガース。左の技巧派として1958年に11勝。のち中日に移籍。1965年引退。通算39勝40敗、防御率2.99。引退後は野球界を離れた。
○6月16日 河野昌人 39歳
龍谷高校から1996年ドラフト3位で広島に。185センチと長身の右腕投手。主として救援投手として7勝16敗10セーブ、防御率5.82。2000年はシドニー五輪の代表にも選ばれる。2004年ダイエーに移籍してこの年引退。引退後は社会人野球の指導者になるが39歳の若さで急死した。