“師”の言葉で引退を翻意 侍J女子代表に選出された只埜の“運命”を変えた誘い
只埜榛奈は2019年11月に埼玉アストライアを退団、一度は引退を決意した
あの時あの言葉がなければ、ジャパンのユニホームを着ていなかった。今年初めて侍ジャパン女子代表メンバーに選ばれた只埜榛奈内野手(東海NEXUS)は、現在のチームに誘ってくれた碇穂監督に感謝する。
1年半前は野球をやめるつもりだった。宮城の聖和学園高卒業後に女子プロ野球入りして6年目を終えた19年11月、埼玉アストライア退団が決まった。「引退すると決断した時に、碇さんからお話をいただきました。その話がなかったら、野球をやめていたと思います」と只埜は振り返る。
18年に只埜が愛知ディオーネでプレーしていた時の監督が碇監督だった。女子プロ野球リーグ再編の渦中にあった19年オフに愛知県一宮市に残り、アマチュアクラブチームの東海NEXUSを立ち上げた人物。
日本一のチームをつくりたい、リーグ戦が活発に行われている関東や関西のように東海地区の女子野球の環境を整備したいという熱い思いを聞いて、只埜の心は動いた。
「まだ選手として力になれるなら、新しい形で一緒にやりたいと思いました」