大投手と意見が“対立”…ほくそ笑む指揮官「やっとったのう」 実感したコーチの役割
高代延博氏は1999年に中日コーチに…星野監督は「本当に優しい」
元日本ハム、広島内野手の高代延博氏はコーチ時代に多くの監督に仕えた。山本浩二氏、三村敏之氏、大島康徳氏、山本功児氏、落合博満氏……。1999年から2001年までは星野仙一監督の下で内野守備走塁コーチを務めたが、当時のことも思い出深いという。「星野さんは、自分の野球人生を左右した人です。見ていたら怖かったけど、本当に優しい人だった。どこのコーチになる時も必ず、星野さんには連絡していました」と明かした。
中日コーチになった時、高代氏は星野監督に「『カープのような野球がしたいんや』とはっきり言われた」という。広島コーチ時代の1996年に、星野さんが当時の広島・三村監督に「高代をくれんか」と打診。1998年の三村政権終了のタイミングで高代氏は中日入りしていた。
「秋季キャンプから入ったんですが、カープではダイヤモンド全部をケージ(防護ネット)で囲い、いつでも走塁練習ができたのに、中日ではその網がなかった。それを星野さんに言ったら『何枚いるんや』って。『36枚いります』と答えたら、すぐ買ってくれましたよ。パッと決める。すごいなと思いましたね」。1999年、高代氏は中日1年目でいきなりリーグ優勝を経験した。
「たまたまなんですが、名古屋では星野さんと家も近かった。知り合いが三重で養鶏場をやっていて卵が届いたから取りに来い、伊勢エビをもらったから取りに来いって、よく行きました。卵もえーっていうくらい、段ボールやもん。すごくかわがいってもらいました」。高代氏は選手とは食事にいかないことを決めていたし、コーチ陣ともつるむことがなかったという。「好かれもせんかったけど、それはそれでいいやと思った。野球ができているんだからってね」。