大活躍の3年後…25歳の戦力外通告 燕の左腕になかった“余力”「やりつくした感が」
燕のドラ1・赤川克紀さんは4年目に球宴で“特別賞”受賞も…3年後に戦力外
ヤクルトに高卒ドラ1で入団し、4年目にはオールスターにも出場した赤川克紀投手は、7年間で現役生活に幕を引いた。順風だったプロ人生に陰りが生じたのは5年目の2013年。フォームを変えるなど試行錯誤を繰り返したが往時の投球を取り戻すことはできなかった。「やり尽くした感はありました」と、25歳で受けた戦力外通告、さらに引退決断時の心境を明かす。
プロ3年目の2011年、赤川さんは8月18日の横浜戦で初勝利を挙げると勢いに乗った。9月25日には激しい優勝争いを演じていた中日相手に初完投勝利を挙げるなど6勝をマーク。結局、優勝は逃し2位に終わったが、1勝1敗で迎えた巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第3戦(10月31日)に先発し、6回2/3を無失点の好投でファイナルステージ進出に貢献。
「あの年は勢いでいけました。あのCSの投球が(プロ人生で)一番良かった。当たって砕けろ、打たれても悔いはないという気持ち。怖いものなしでしたね」
翌2012年はチェンジアップを習得するなど投球の幅を増やし、28登板(27先発)で8勝9敗、防御率3.79。黒星が上回ったものの1年間先発ローテーションを守り、規定投球回にも到達した。21歳で出場したオールスターでは第3戦で救援登板して3回を無失点。3試合を通じて最もファンの印象に残った選手に選出された。「さらなるレベルアップができた年でした」。
壁にぶつかった5年目「ボールに力が伝わらなくなった」
自信を深めて臨んだ2013年シーズンだったが、思わぬ壁にぶつかった。「ボールに力が伝わらなくなったんです」。疲労の蓄積なのか。左肩に違和感を抱いた状態での投球が続いた。かばいながら投げたことでフォームが崩れた。9登板で5敗、防御率6.98。ここからは苦難が続いた。「2軍暮らしが長く続いて、投げても敗戦処理。波が大きくて投げてみないと分からない状態でした」。
初めて1軍登板がなかった2015年オフに受けた戦力外通告。「薄々あるだろうなとは思っていました。そういう世界です」。その日は何も考えられなかったというが、トライアウトを受ける気持ちは湧き起こって来なかった。「色々なことを試して、やり尽くした感はありました」。プロで再起を図るのではなく、新たな道に進む決断を下した。
その選択に悔いはないという。東京都内の建築資材会社で勤務しつつ、社会人の軟式野球クラブ「東京ヴェルディ・バンバータ」で野球は継続。もうすぐ33歳になる赤川さんは別の形で野球と向き合い、充実した日々を過ごしている。
(片倉尚文 / Naofumi Katakura)
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