“おじさんの飲み会”に失望 女子野球最年長左腕…「不毛の時代」を越えた波乱の道程

女子硬式野球チーム「侍」の現役最年長左腕・千葉奈苗【写真:田中健】
女子硬式野球チーム「侍」の現役最年長左腕・千葉奈苗【写真:田中健】

「野球は巨人、ガムはロッテ」というCMのころ野球に目覚めた

 女子硬式野球の普及発展を目的に開催され、「U-15」「高校」「大学・企業・クラブ」の3カテゴリーに分かれて覇権を争うヴィーナスリーグ。関東を主戦場にする同リーグ「リポビタン杯」は、巨人・西武の女子チームをはじめ、大学、企業チーム、クラブチームの計11チームで、2023年のリーグ戦を行っている。そこに参戦するグラブチーム「侍」に所属する左腕・千葉奈苗さんは、58歳の女子硬式野球の現役最年長投手だ。

 千葉さんは1965年(昭和40年)、東京で生まれ、杜の都・宮城県仙台市で育った。5歳の誕生プレゼントに、父親が左利き用のグラブをプレゼントしてくれたことがきっかけで、ボール遊びに興じ始めた。

 1974年、400勝投手・金田正一監督のロッテが仙台市の県営宮城球場(現・楽天モバイルパーク宮城)を本拠地に日本一となった。同年、巨人はV10を逃し、翌年から「長嶋茂雄・巨人」が誕生する。当時、金田と長嶋は「野球は巨人、ガムはロッテ」というロッテのシュールなCMで共演していた。

 千葉さんはその1975年、小学校4年生のときに、プロ野球に突然興味を持ち始め、雑誌の選手名鑑と照らし合わせながらテレビ観戦をするのが大好きだった。大洋(現・DeNA)ファンだったが、憧れは同じ左利きのヒーローだった王貞治(巨人)。「王さんが2年連続3冠王の翌1975年に、肉離れで本塁打が33本に終わったのをよく覚えています」。「33本」という数字がよどみなく出てくるところに、「本物の野球好き」を感じさせる。

 学校から帰宅すると、カバンを放り投げ、友人数人と空き地で「三角ベース」をしたり、人数が集まらないときは1人で「壁当て」を楽しんだ。野球少年のような遊び方が日課だった。

 当時、「少女野球チーム」など、皆無に近い。小5でソフトボールを本格的に始めた少女・奈苗さんは、以来中学、高校と続けて、上京して強豪大学のソフトボール部の門を叩くことになる。しかし、人生は思うようにいかないのが常である。

「試合後に居酒屋で一緒に飲める」女子選手募集という現実

「ソフトボール部の練習が自分の想像の何倍も厳しくて、1年ほどの在籍で退部しました」。もう1つの特技であったピアノを生かし、新体操部の伴奏ピアニストに転身したが、思えば、この「18歳の不完全燃焼」が、以来40年にわたる「50代野球女子」へといざなうことになるのだ。

 大学卒業後、野球をやりたい気持ちを抱えながら、20代の千葉さんはフリーター生活をしつつ音楽活動を続けた。30代に入って、体育館勤務のトレーナーとなった。その少し前、26歳(1991年)のとき、野球雑誌の伝言板ページで「女子選手募集」のベタ記事を見つけて目を輝かせ、やっと軟式野球を始めることになった。

 いざ入部してみて、期待が大きかった分、落胆は大きかった。その実態は「おじさんたちが草野球の試合後に居酒屋で一緒に一杯飲む」女子選手募集だったのだ。千葉さんは、その後10年間に計4チームを渡り歩くことになる。

 35歳(2000年)のとき、ある中学硬式野球チームが女子野球チームを結成。千葉さんは、かねてから「硬式ボール」を握りたかった。即入団したものの、メンバーが3~4人しか集まらず、試合はできない。中学生に交じって結局、練習生のような形で4年間を過ごした。

「微妙な年頃の中学生の男の子と一緒に野球をやるのは難しかったですね。『何で俺が千葉さんの投球を受けなくちゃいけねえんだよ』という空気を感じました。キャッチボールも気軽に誘えませんでした」

 今から四半世紀ほど前は、女子硬式野球はポピュラーではなかった。「女子が野球をやる」ことに関して、好奇の目を向けられることも多かったのだ。

(石川大弥 / Hiroya Ishikawa)

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