駐車場で育んだ吉田正尚の強烈スイング 詳しい指導なくとも…父が贈った唯一の助言
吉田正尚が左打ちになった理由…強振できるようになった経緯
イチローや松井秀喜に加え、金本知憲や小笠原道大、さらには阿部慎之助や糸井嘉男に鳥谷敬ら……。近年では、数多くの「右投げ左打ち」選手が目立つ野球界。日本から海を渡って活躍するレッドソックスの吉田正尚外野手も、右投げ左打ちの1人だが、右利きながら「左打ち」になった理由は“身近”なところにあった。
吉田が野球を始めたきっかけは、3歳上の兄の影響だった。「兄は両投げ左打ちだったんです(笑)。僕は兄貴を真似していたので、ずっと左打ちです。物心ついて、バットを振っていた時から左(打者)でした。右利きですけど、右(打者として)は振ったことがなかったですね」。最も近くにいた“憧れ”を真似る日々。吉田少年は、自然と左打ちになったのだった。
福井の実家で「カラーバットで紙ボールをずっと打ってました。(福井は)冬、雪が積もって外で(野球が)できないことが多かったので」と幼少期を振り返る。のちに、この環境が「メジャーリーガー」を育て上げることになる。
大雪の日の練習はいつも室内にこもった。「室内と言っても部屋じゃないですよ。バットを振りたかったので。(屋根のある)駐車場にネットを張って、簡易の室内練習場みたいにしてもらっていました」。純粋な目で汗をかく吉田少年に、親身に寄り添ったのは父の正宏さんだった。
「僕に何も言わずにトスを投げてくれてました。おとんは、野球を詳しく知らないから、何も言ってこなかった。僕が打ちたいと言えば、丁寧にトスを上げてくれた。そんな環境だったから……感謝しかないですよね」
吉田の魅力は“強く振る”こと。「おとんがいたから、僕は納得いくまでスイングできていました。『思い切り振ってみなさい』の一言ぐらいしか、指導のような言葉を受けた記憶がない。毎日、僕が『よし!』と思ったタイミングで、練習が終わるんです」。父と親子二人三脚で取り組んだスイング軌道の確認。余計な言葉は挟まず、息子の“探究心”を生み出した「賜物」が、今も生きる。
(真柴健 / Ken Mashiba)
球速を上げたい、打球を遠くに飛ばしたい……。「Full-Count」のきょうだいサイト「First-Pitch」では、野球少年・少女や指導者・保護者の皆さんが知りたい指導方法や、育成現場の“今”を伝えています。野球の楽しさを覚える入り口として、疑問解決への糸口として、役立つ情報を日々発信します。
■「First-Pitch」のURLはこちら
https://first-pitch.jp/