25年前の因縁「投手を辞めてよかった」 松坂大輔に完敗…本塁打王に導いた“挫折”
1998年春の選抜で投げ合いも「しっかり甲子園でも打たれた」
横浜スタジアム45周年を記念したスペシャルイベント「YOKOHAMA STADIUM 45th DREAM MATCH」が3日に行われ、ベイスターズの歴代スターが集まった「BAY DREAM STARS」と神奈川県内の高校野球出身のレジェンドたちが集結した「Y45 LEGEND HEROES」による特別試合が実現した。ヒーロー賞には決勝打を放った松坂大輔氏が選ばれたが、同学年の村田修一氏(現ロッテ打撃コーチ)は改めてその存在の大きさを実感していた。
やっぱり松坂が主役だった。1-2の2回1死二、三塁で松坂が打席に入ると、「投手・村田」が告げられた。松坂は華麗なバットコントロールで打球を左翼線に運び、逆転の2点適時二塁打にガッツポーズ。これが決勝打となった。
2人の対決は“因縁”の再現でもあった。東福岡高の村田は横浜高の松坂と1998年春の選抜で投げ合った。九州で名の知れた投手だった村田だが、松坂に適時二塁打を浴びるなど0-3で敗退している。これが後に野手転向への道筋をつくった。
「しっかり甲子園でも打たれたんですけど、投手を辞めてよかったなと。大輔と対戦して、改めて今日再確認させてもらいました。松坂さん、ありがとうございました、野手・村田をつくっていただいて」
2007年から2年連続本塁打王に輝き、4度のベストナインを誇る。通算360発で、そのうち127本のアーチを横浜スタジアムで架けた。球界屈指の好打者が誕生したのだから、“松坂のおかげ”もあながち間違っていないのかもしれない。
初回には成瀬善久投手から先制の右越え2ランを放ち、松坂に負けないくらいファンを沸かせた村田。懐かしい応援歌を浴び、かつての仲間たちと「胸に刺さるものがありました」と思い出が詰まったハマスタでのプレーを満喫した。
(町田利衣 / Rie Machida)