戦力外2日でアルバイト「野球界はちっぽけ」 社会に出て痛感…ひたすら作ったドリンク

元ロッテ、中日の大嶺祐太さん【写真:本人提供】
元ロッテ、中日の大嶺祐太さん【写真:本人提供】

元ロッテ、中日の大嶺祐太氏が野球界を離れた理由

 野球人生に悔いはない。戦力外通告を受けても、やり切ったという思いと、次のステージへの希望で心は晴れ渡っていた。2022年限りで現役を引退した元ロッテ投手の大嶺祐太氏。野球界を離れ、社会人としてのリスタート。学びの連続で、充実した日々を過ごす。

 2006年高校生ドラフトで1巡目指名を受け、ロッテに入団。2015年には自己最多の8勝を挙げるも、2021年に戦力外となった。翌2022年に育成選手として中日に入団したが、支配下に昇格できず1年で再び戦力外に。約3週間後、自身のインスタグラムで現役引退を表明した。

「戦力外を通告されたときは『やっぱりか』と思いました。でも『これで野球を終わらせることができる。一般社会に出る次のステージに行けるんだな』という気持ちでした」

 非情通告でもなんでもなく、ひとつの節目だと前向きに捉えた。指導者の道に進むつもりはなかった。教えるということは、選手の将来を背負うことになる。その責任を持つことができないと思った。

 やりたいことはたくさんあった。戦力外を覚悟し始めたころから、興味のある分野について調べていた。「毎年9月くらいから翌年に向けての準備をしますが、戦力外になった時のプランも立てないといけない。飲食とアパレルはぼんやり考えていました」。まずは飲食業に携わろうと、戦力外通告のわずか2日後に、名古屋の知り合いに頼んで飲食店でアルバイトを始めた。

「ドリンクの作り方を覚えたほうがいいと言われ、ずっとドリンクを作っていました。顔が見えない、ただドリンクを出すだけのところで、ひたすらドリンクを作り続けていました」

ロッテ戦力外の福田秀平に助言「社会に出たほうがいい」

 野球界を離れたのは、5年後、10年後を見据えてのことだった。いずれは社会に出なければいけない。それなら、早いほうがいいと思っていた。「今、いろいろな人と出会って、いろいろなことができている。『野球界はちっぽけな世界だったんだな』と気が付きました」。今年、東京・門前仲町に創作ダイニングのレストランを開業。故郷の沖縄・石垣島と、中日在籍時に過ごした名古屋の食材を取り入れた料理を提供する。その他、アパレル事業や野球教室での指導など、活動の幅を広げている。

 迷いなくリスタートを切った経験は、ひとつの財産になる。今オフ、同学年でロッテでもともにプレーした福田秀平外野手が戦力外となり、今後について相談を受けた。その際、自身の引退後の1年間を踏まえ「社会に出たほうがいい」とアドバイスを送った。

「野球がやれるんだったらやってもいいけど、迷っているならあまり進めないと言いました。自分が全く知らない社会に出たほうが、その1年がだいぶ変わってくる。同級生で働いている人たちが集まることがあるのですが『1回セッティングするよ。先輩だから話を聞いたらいいんじゃない』と言いました。静岡(来季からNPB2軍に参入するハヤテ223)に行くと言っていたので『頑張ってね』と言いましたが、いつか社会に出ることには変わりないですから」

 沖縄・八重山商工高で2006年、春夏連続で甲子園に出場。日本最南端の高校から現れた逸材は、プロの世界に飛び込み、16年間の現役生活で通算29勝を挙げた。常に自分の意志を貫いてきた35歳は、活躍の場をマウンドから一般社会に移し、新たな人生を歩んでいる。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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