誹謗中傷、炎上も…国民から非難の大失態は「して良かった」 心の傷癒した亡き恩師の言葉

中学時代のG.G.佐藤氏(右)と野村克也・沙知代夫妻【写真:本人提供】
中学時代のG.G.佐藤氏(右)と野村克也・沙知代夫妻【写真:本人提供】

北京五輪で失策、復帰戦での飛球キャッチで「北京の空に見えました」

 西武やロッテなどで活躍したG.G.佐藤氏がFull-Countのインタビューで、「世紀の落球」と言われた失策を犯し、戦犯扱いされた2008年北京五輪の“その後”を語った。失意の佐藤氏を支えたのは西武ファンの存在と、今は亡き恩師の野村克也氏の言葉だった。

 “E.E.佐藤”などと揶揄され、世間からのバッシングの的となっていた佐藤氏の北京五輪からの復帰初戦は8月26日、本拠地での楽天戦だった。「誰からも迎え入れてもらえないと思っていたんです。でもライオンズの応援団のエリアに『G.G.佐藤は俺たちのGGだ』『俺たちは変わらずに応援する』みたいな横断幕があったんです。あれには救われましたね」。

 本拠地のファンは温かかった。3回の守備だったという。平凡な飛球が右翼の佐藤氏に向かって飛んできた。「その瞬間、球場が静まり返ったんですよ。で、捕ったら大歓声。イージーフライを捕って歓声浴びたプロ野球選手なんて俺しかいないと思いますよ」と笑った。

 ただし試合後に「『西武ドームの空が北京の空に見えました』ってコメントしたんです。屋根があるのに。そしたら『ふざけるのはまだ早い』って炎上しました」と余談まで明かした。

野村克也さん直筆の色紙を持つG.G.佐藤氏【写真:本人提供】
野村克也さん直筆の色紙を持つG.G.佐藤氏【写真:本人提供】

野村克也さんの言葉で消えた迷い「あのエラーをやって良かったと思う」

 現在でこそ笑顔で話せるようになったが、当時はいくら明るい性格といえども心に負った傷は深かった。時間の経過とともに傷は徐々に癒えていったが、笑って語れるようになったのは、ほんの数年前。心の師と仰ぐ野村克也さん(2020年2月に死去)の言葉がきっかけだった。

 佐藤氏は中学時代に野村さんの妻、沙知代さん(2017年に死去)がオーナーだった硬式チーム「港東ムース」に所属していた縁で野村さんとは面識があった。卒団の際に渡された「念ずれば花ひらく」と直筆で書かれた色紙を、プロ入り後の入寮の際に持参。今でも自宅に飾っているという。

 その野村さんが亡くなる10日ほど前、佐藤氏はテレビのバラエティ番組で恩師と再会。かけられた言葉が心を貫いた。「GGよ、お前はエラーをした。でも北京五輪で人の記憶に残っているのは誰だ。星野(監督)とお前だけだ。人の記憶に残ることがどれだけ大変で素晴らしいことか分かるか。お前の勝ちなんだ。この経験を活かして、生きていきなさい」。

 それまでは「世紀の落球」について話す時も、どこか遠慮する部分はあったという。「ノムさんの言葉を聞いて吹っ切れました。思い切って当時を“イジる”ようなSNSを発信し始めたんです。炎上するかと思ったけど『勇気をもらいました』『元気になりました』みたいな声が多かったんです」。

 自らの経験を生かして野球界に、世の中に貢献していくことを決めた。テレビ出演や講演の依頼も増えたという。「チャレンジしたら失敗するのは当たり前と思う。なので、今は恐れずにチャレンジしていこうと伝える役割があるのではと思っています。今ではあのエラーをやって良かったとも思っています。つらい出来事も向かい合うやり方ひとつで変わっていくんだと感じました。ノムさんのおかげです」。

 大舞台でミスをした事実は反省するが、ミスをしたからこそ伝えられることがある。自分にしかできないことがある。亡き恩師の言葉とともに、佐藤氏は前を向いて生きている。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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