頭部直撃で死亡事故→彼女乗る車が炎上「ショックでした」 “悲劇”続いた日米対決
山口高志氏は「第1回日米大学野球」でMVPに輝いた
“上から叩く”フォームが躍動し、「打倒・東京」を成し遂げた。元阪急(現オリックス)の剛腕投手・山口高志氏(関西大学硬式野球部アドバイザリースタッフ)は1972年、関西大4年時に“無双”状態に突入した。春秋の関西6大学リーグ戦、第21回全日本大学選手権、第1回日米大学野球選手権、第3回明治神宮大会にすべてエースとして優勝の「5冠」を達成したのだ。最後の神宮大会では慶応大、早稲田大、法政大の“東京勢”に1点も与えなかった。
神戸市立神港高校時代の高木太三朗監督に「上から叩け」と指導されて、山口氏の独特な真上から投げ下ろすフォームは作られたが、関西大で体がさらに頑丈になるとともにボールの威力も増していった。投げる瞬間、山口氏は下を向く。「手をキャッチャーの方に伸ばそうとしたら、だんだん顔がついていって、下を向かないと手は伸びないからね。四隅をつけるようなコントロールはなかったけど、外と内のラインだけは狙って投げていました」。
右手の指先は地面に突き刺さるのではないかと思えるほど振り下ろされるが、実際にそのシーンが何度かあったという。「アマチュアが主催するグラウンドはマウンド整備が甘い時があった。だから、左の足がだんだん深く掘れていって、土の中に足首が入るくらいで、俺の投げ方だったら指先が地面に接する回数が多くなりますからね」。そのフォームから繰り出される強烈なスピードボールで打者を圧倒した。
大学4年春のリーグ戦は9勝0敗で関大を優勝に導き、6月の第21回全日本大学選手権では1回戦の福岡大戦に1失点完投の2-1、2回戦の広島商科大戦はリリーフ登板で8-3、準決勝の中京大戦は完封勝利の4-0、決勝の慶大戦も完封、9回サヨナラ勝ちの1-0だ。関大の大学選手権制覇は村山実投手(元阪神)で成し遂げた1956年以来、16年ぶり2度目のことだった。
7月の第1回日米大学野球選手権大会(7回戦制、日本開催)ではオールジャパンのエースとして大活躍。日本が5勝2敗で制したが、そのうち3勝を山口氏が完投でマークし、MVPに輝いた。「向こうの選手は(日本へ)遊びに来ているような感じ。ベンチの横で写真撮りまくったりして……」と山口氏は言うが、後にレッドソックスなどで活躍するフレッド・リン外野手ら米国代表の大学生も剛速球で抑え込んだ。
春秋リーグ戦、日米選手権、全日本選手権、明治神宮大会の「5冠」達成
この大会では、第2戦(7月9日、神宮)で早大2年の東門明内野手が走塁中に送球が頭に当たって帰らぬ人になる悲劇があった。7回1死一塁で中央大・藤波行雄外野手(元中日)が二ゴロ。併殺を狙った米国代表のアラン・バニスター遊撃手の一塁への送球が、一塁走者の東門さんの頭に直撃した。山口氏は「あの時、ベンチは東門に代走を出そうとしていたんですよ。でも混成チームですぐに準備ができなくて、どうのこうの言っている間に……」と話す。
「ショックでした。あの何日か前に静岡で合宿みたいなのがあって東門と寝っ転がっていろんな話をしたんです。そこであいつが面白いことを言ったんですよ。『俺の夢はきれいな彼女のヒモになって生活したいんです』って。みんなで大笑いした。それが……」。大会後に早大・大隈記念講堂で東門さんのお別れの会が行われたが「バニスターが東門のご両親に頭を下げていた姿が、いつも日米(大学野球)の話になると頭に浮かんできますね」と山口氏はしんみりと話した。
中日球場で行われた第4戦(7月16日)応援のため、大阪から名古屋に向かった関大のマネジャーが運転する車が名神高速で事故に遭うアクシデントもあった。車には当時、交際中だった裕見子夫人が乗っていた。「試合の前の晩に来て、晩ご飯を食べに行く約束をしていたのになかなか着かなくて……。遅い時間になって来た。事故で車は燃えてしまっていたんですよ。雨の中、スリップして後ろの大型トラックに横ばらいされたそうです」。肝を冷やした一件だった。
そんな日米大学野球後の秋のリーグ戦で、山口氏は9勝1敗で関大の3季連続優勝に貢献。さらに11月3日開幕の第3回明治神宮大会では圧倒的な投球を見せた。2回戦は慶大にノーヒット・ノーランで1-0、準決勝は早大を2-0、決勝は法大を1-0。この年の神宮大会には東京6大学から4校(慶大、法大、明大、早大)、東都からも2校(駒大、中央大)出場したが、そのうちの東京勢3校を相手に3試合連続完封勝利をやってのけた。関大は神宮大会初優勝だった。
「偉そうに言うんじゃないですけど、優勝するのは当たり前の気持ちで乗り込んでいました。できるものなら東京を全部倒したいという気持ちもあったと思います」と山口氏は言う。その通りの結果を残した。これで「5冠」を達成。アマチュアナンバーワンと評される投手になった。大学時代最後の大会を最高の形で締めくくった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)