不祥事で謹慎処分も…18歳で「自分を持っていた」 できた気配り、ダルビッシュの素顔
2007年まで日本ハムでプレーした鎌倉健氏、入団直後のダルビッシュと共に過ごす
2007年に現役を引退した元日本ハムの鎌倉健氏は現在、兵庫・ヤングリーグ「東加古川レッドアローズ」の監督として主に中学生の指導にあたっている。子どもたちに伝えているのは「努力で人間は変わることができる」。その根底は現役時代に共にした、ダルビッシュ有投手(現パドレス)の成長過程を見てきたからだ。
プロ2年目の2004年は2軍で経験を積んでいた鎌倉氏。同年のドラフト1位指名で入団したのがダルビッシュだった。甲子園のスターで誰もが羨むポテンシャルを誇るライバルの加入に、当時は「すごい投手が入ってきた」と興味津々だったという。
だが、翌2005年の春季キャンプで事件は起こる。ルーキー右腕は不祥事を起こし2軍施設の鎌ケ谷に送還、無期限の謹慎処分を受けた。週刊誌などの報道もあり、一気にヒール役となった後輩。それでも鎌倉氏は「若気の至り。周りからは色々と言われていたが、普段はお茶目で可愛い後輩。年齢も近いし一緒に過ごすことは多かったですね」と、春季キャンプを終え鎌ケ谷に戻ると、分け隔てなく寮生活を共に過ごした。
開幕2軍スタートとなった2人はイースタン・リーグで結果を残すと、ほぼ同じ時期に1軍に昇格。鎌倉氏は先発ローテに定着し19試合に登板し7勝をマークすると、ダルビッシュも2完投1完封を含む14試合に登板し5勝を挙げた。チームはリーグ5位に終わるも、2人の若き右腕が台頭し翌年に希望を抱かせるシーズンだった。
「当時は年上の選手ばかりで。何をするにも一緒でした。皆が思っているような感じではなく、野球をやっているときは人格が変わる。彼は若い時から自分を持っていました。トレーニングも一生懸命やる。一番、驚いたのは入団した直後からキャッチボールで左投げ。『体のバランスが……』みたいなことを言っていた記憶がありますね。何をするにも吸収力が凄かった」
戦力外直後にダルビッシュから「施設に困っていたら言ってください、僕が何とかします」
ダルビッシュはプロ2年目の2006年に12勝を挙げリーグ優勝の立役者となり、その後もエースとして君臨。当時は投手の筋力トレーニングに否定的な意見が多い中、いち早く取り入れた。最新のサプリメントやトレーニング方法を勉強し、メジャーでもトップクラスの選手に成長し活躍している。
鎌倉氏は怪我などもあり2006年以降は結果を残せず2007年に引退。戦力外通告を受けトライアウトに向け練習場所を探していると「トレーニング施設とかに困っていたら言ってください。僕が何とかします」と、親身になって心配してくれた。ダルビッシュと過ごした貴重な時間は、指導者となった今でも宝物だ。
「人としての優しさ、気配りは昔からありました。あの言葉は本当に嬉しかった。だからこそ、WBCでもあのような立場を任されると思う。入団当初は細くて、真っすぐも150キロが出るか出ないか。周りからはやんちゃなイメージを持たれていた。でも、目標に向かって努力することで人は変わることができる。ダルからは沢山のことを学びました」
甲子園出場、プロ野球選手など夢を持つ子どもたちに向け、伝えたいことは1つ。「努力しても必ず結果が出るとは限らない。でも、努力すれば道は開けていく」。これからも鎌倉氏はグラウンドに立ち、球児たちをサポートしていく。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)