指揮官が“激怒”「わかっとるわ」 出場激減で失った定位置も…バタバタ交代指令
大物新人・福留孝介が入団、久慈照嘉氏は遊撃の控えに回った
新たな“仕事場”で奮い立った。1999年、星野仙一監督率いる中日は11年ぶりにセ・リーグを制覇した。開幕から11連勝してスタートダッシュに成功。その後、首位の座を譲るなど苦しい時期もあったが、一丸野球で乗り越えて9月30日に優勝を決めた。優勝メンバーである元中日内野手の久慈照嘉氏は主に終盤の守備固めなどでチームに貢献。レギュラーではなくなったが「控えを経験できてよかったなと思っている」と話した。
1999年の星野中日のショートは、日本生命から入団したドラフト1位ルーキーの福留孝介内野手が主に務めた。久慈氏は阪神1年目の1992年から中日移籍1年目の1998年まで7年間、規定打席に到達したように、いろんなライバルとの闘いを制して、ずっとショートのレギュラーだったが、大物新人には明け渡す形になった。スタメンで出るのが当たり前だったのが、出番は試合終盤になってからの守りが中心。打席数も大幅に減った。
しかし、気持ちが切れることはなかった。「星野さんがメディアに“大事なところで絶対使うから”という表現をしてくれていたんです」。福留のショート守備は決して上手ではなかった。闘将もそれはわかっていた。でも、後ろに久慈氏がいるから思い切って使った。そんな星野監督の考えを、マスコミを通して久慈氏も理解した。レギュラーでなくなるのは悔しかったが、新しい仕事にも、意気に感じて取り組んだのだ。
久慈氏は1999年4月28日の阪神戦(ナゴヤドーム)が忘れられないという。「福留があとシングルヒットを打ったら、サイクルヒット。打席もまだ回ってくるのに星野さんは僕に代えたんですよ」。福留は四球、本塁打、三塁打、二塁打の3打数3安打1打点。試合は中日が4-1で3点リードしていた。「福留のサイクルがかかっているし、僕の出番はないなって思っていたら(ヘッドコーチの)島野(育夫)さんから合図があったんです」。
それは“キャッチボールをしろ”と伝えるもの。「6、7回くらいで勝っていて、島野さんと目が合うとそういうことで、出番なんです。でも、その日は“えっ”てなりました。島野さんにも『あと1回まわってきたらサイクルヒットがありますよ』って言いましたけど、島野さんも監督がもし気付いていなかったらやばいと思って星野さんに言ったら、怒られたらしいです。『そんなもんわかっとるわ! そんなもんよりどっちが大事や!』って」。
感じた星野監督の配慮「打順が回るところに僕を入れる」
星野監督は「福留はこれからもチャンスがある。でも今日の試合に負けたら優勝できんかもしれん」と、はっきりしていた。シーズンが終わった時に「あの時勝っていれば」とならないことをまず優先させた。それは同時に久慈氏の守備力への絶大な信頼の証しでもあった。久慈氏はこう振り返る。「気持ちとしては複雑でしたけど、僕に対して星野さんはそういう評価をしてくれているんだなと思った。やっぱり、この人はそういう感覚で僕に接してくれたんだなってね」。
その後、福留は2003年6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)と、阪神時代の2016年7月30日の中日戦(甲子園)でサイクル安打を達成した。何よりも2度もチャンスをつかんでものにした福留の打棒の凄さが際立つが、結果的に星野監督が言った通りの展開にもなった。そして、久慈氏もまた闘将の熱い期待に応え続けた。
「持ち場は守備固めでしたけど、星野さんは必ず打順が回るところに僕を入れるんですよ。控えとしてのモチベーションを持てるようにしてくれた。代打のところでの“ピンチバンター”もそうだし、大事なところで使ってくれるという表現をメディアにしていたのはそういうことだなって思いましたね」。その年の久慈氏は夏場以降、福留がサードに回った時などに「2番・遊撃」で先発出場。そこではバットでも結果を出した。
「まぁまぁ、打撃の調子もよかった時ですよね」と久慈氏は控えめに話したが、8月13日の広島戦(広島)での5打数4安打をはじめ、働きは光った。規定打席には到達できなかったものの、172打数54安打の打率.314。これも控えの時の実直なプレーがあったからこそだろう。いつでも行ける準備が、ここぞの時のスタメンでも力を発揮したわけだ。
控えを経験して広がった野球観…のちの指導者業でも役立った
中日の優勝が決まった9月30日。神宮球場でのヤクルト戦ではベンチスタートだったが、主砲の山崎武司内野手が一塁守備中に左手首骨折のアクシデントに見舞われ、サードのレオ・ゴメスがファースト、ショートの福留がサードに回り、久慈氏がショートに就いた。この試合でも久慈氏はバットで貢献。0-4で迎えた4回の第1打席でタイムリー2塁打、6回の第2打席は1点差に迫るタイムリーヒットを放った。
4-4の8回、2死走者なしでの第3打席はセンター前ヒットで出塁。続く井上一樹外野手のレフトフェンス直撃の二塁打で、一塁から激走して勝ち越しのホームを踏んだ。中日の試合が終わる前に2位の巨人が敗れたため、その時点では優勝は決まっていたが、試合に勝って終わりたいところ。そんな中での久慈氏の3打数3安打2打点の大活躍による逆転勝ちだった。
「山崎さんには悪いですけど、あれは1年間耐えた結果の神様からの贈り物だと思っています」と久慈氏は話す。自身にとってもプロで初めて味わった優勝だった。選手宿舎の赤坂プリンスホテルで行われた祝勝会。「みんなでプールに飛び込んで、星野さんとビール掛けをできたことが、ホント、うれしかったですよ」。日本シリーズはダイエーに1勝4敗で敗れたが、思い出深いシーズンになった。
「僕にとってプロ8年目だったけど、14年の現役生活ではそこからの人生の方が僕はよかったと思っている。控えを経験できたということでね。やっぱり野球は駒も大事で、レギュラーばかりが育つ環境ってあり得ないなって、控えも育てなければいけないんだなって僕は感じたんですよ」。久慈氏は現役引退後に阪神の1軍コーチを長く務めたが、その仕事にも役立ったのは言うまでもない。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)