エースとの死別「なんで先に逝くの…」 仲良くなった矢先の訃報「今でも考えられない」
昨年7月にがんでなくなった三浦貴さんと石井義人氏は高校時代の同級生だった
西武や巨人などで活躍した石井義人氏が、2023年7月24日に大腸がんのために急逝した三浦貴さんへの思いを語った。埼玉の名門・浦和学院高の同級生で、共にプロの世界でプレーした“盟友”。「今でも亡くなったなんて考えられない」と心境を明かす。
「身体能力が高いなって印象ですね。高校2年までは自分のことに必死で気付かなかったんですけど、3年になってタカ(三浦さん)は人とは違うバネを持っているのに気づいた。打撃でも、投球でも。自分の中で負けたくないと思っていました。口にはしていなかったけど、タカがライバルと思っていた。自分は内野、タカは投手でポジションは違いましたが」
石井氏は主にセカンド、サードで活躍し、三浦さんはエースとして甲子園に3度出場。石井氏は1996年ドラフト4位で横浜(現DeNA)へ、三浦さんは東洋大を経て2000年ドラフト3位で巨人に入団した。
どちらも「周囲と群れる感じではなかった」という“孤高タイプ”。イースタン・リーグの試合で顔を合わた時などには世間話はしたが「連絡先も知らなかった」。しかし、石井氏は2002年オフにトレードで、三浦さんは2007年に戦力外となり、オフのトライアウトを経て西武へ入団。再びチームメートとなった。
「『タカも西武に来るんだ』くらいの感覚でした。当時は同じ学校の同級生だったということで仲が良かったと思われがちでしたが、そうでもなくて。もちろん話はしますが、西武で仲良くしていた選手もお互い違っていました」
「本当にこれからもっと仲良く、楽しくなると思っていた」
距離が一気に縮まったのは2人が引退した後だった。石井氏は2019年から、OBチームで甲子園を目指す「マスターズ甲子園」の「浦和学院OB」に加入。そこに同校野球部のコーチだった三浦さんも顔を出していたことから、親交が深まっていった。
「久しぶりに会って、よく話すようになったんです。歳をとって丸くなったのかな。昔の“わだかまり”が解けるじゃいなけど、腹を割って話せるようになった。バカ話もたくさんしました。ようやく仲良く話せるようになった矢先に、タカが亡くなりました」
三浦さん自身、体調のことはごく一部の人たちにしか明かしていなかったが、石井
氏も体調が良くないことは周囲から聞いていたという。訃報の連絡を受けた時のことは、よく覚えていない。
「多分、野球部の仲間か先輩から聞いたんだと思うけど、あまり記憶にないです。ショックで、悲しくて。なんで先に逝くの……と」。葬儀では永眠した三浦さんの顔を見た。「久しぶりにタカのお母さんとも話しました。まだ45歳。同世代が亡くなるのは本当に辛いことでした」。声を詰まらせた。
昨年11月のマスターズ甲子園では、自身の帽子のツバに「39」と記してプレーした。三浦さんが巨人時代につけていた背番号だ。三浦さんのユニホームも“ベンチ入り”させ、浦和学院OBは日本一決定戦で今治北OBを破り“全国制覇”を果たした。
「タカのお墓に優勝報告に行きましたよ。大会が始まる前にも『お前の分も頑張ってくるね』と言ってきました。でも、今でもタカが亡くなったなんて考えられないです。本当にこれからもっと仲良く、楽しくなると思っていたから」
石井氏はこらからも浦和学院OBとして、三浦さんと一緒に戦っていく。最高で最強のライバル同士として。
(湯浅大 / Dai Yuasa)