3年連続最下位は「さすがにまずい」 選手が抱く危機感…カギを握る立浪監督の“家臣”
都裕次郎氏は2023年をもって中日を退団…47年間ドラゴンズ一筋だった
元中日左腕の都裕次郎氏は2021年から査定担当を務め、2023年12月31日に任期満了を迎えて退団した。滋賀・堅田高から1976年ドラフト1位で中日入りして以来、47年間の長きにわたるドラゴンズ一筋のプロ野球人生にひとまず区切りをつけたが、“中日愛”は永遠だ。「選手もコーチも意識が変わっているような気がします。2024年は期待できますよ」。後輩でもある立浪和義監督の2年連続最下位からの巻き返しを楽しみにしている。
都氏は1989年に現役を引退し、その後はスコアラーや2軍投手コーチとしてチームを支えてきたが、与田剛監督時代の2021年から査定担当に就いた。「それまでは選手にアドバイスをずっとしてきた立場だったのが、選手と一線を引かなければいけないのでまったく違う感じになりましたね」。球団には査定システムがあり「変に忖度とかそういうのはないです。ホントの結果でというか、きっちりです」。
もちろん、選手からの問い合わせにも対応した。「査定表など細かいものを選手たちは事前に見ているんですけど、それを見て『もうちょっとこれはこうじゃないですか』とか聞いてくる選手は何人かいます。そういう時は求められれば説明します。そういう考え方もあったなとか思う時もあるし、盲点をついてくる時もあるんですよ」。シビアな仕事とはいえ、都氏は選手の立場もわかるだけに、いろいろ考えさせられることも多かったようだ。
「誰とかは言えませんが、大雑把で細かいことを気にしないように見える選手が重箱の隅をつついてきたり、逆に言いそうな選手があっさりしていたりとか、見た目とギャップがある選手もいましたね」。査定業務がドラゴンズでの最後の仕事になったが、これもまた貴重な経験であり、勉強にもなったのは言うまでもない。「自分のような人間を40何年間もよく在籍させていただいたって感じです」と球団への感謝の言葉を口にした。
2024年、新たなスタートを切った都氏は「(滋賀の)実家のこととかを把握するのが、とりあえずの目標ですかね」と笑みを浮かべながら話した。中日から離れた生活は、実に滋賀・堅田高3年だった1976年以来のことだが、ドラゴンズへの思いは変わらない。中日の2年連続最下位からの巻き返しを楽しみにしているし、信じている。
「選手のコメントとかを見ていると“さすがに3年連続最下位はまずい”というのを感じるところがありますからね。ずっと4位以下に定着していると、最下位になったところで給料が下がるっていうふうに選手は思わなくなっていたんですけど、その辺の意識が変わってきたような気がする。そういう意味でも期待できますね」。さらに中田翔内野手らの加入によって「層は厚くなったと思う。誰かに何かがあっても対応できるのがいいかもしれない」とも口にした。
立浪監督には「任せるような人がいればいいと思う」
過去2年間、結果を残せなかった立浪監督については「任せるような感じの人がいればいいんじゃないかと思う」と話す。「やっぱり織田信長よりも徳川家康にならなきゃいけないと思います。昨年の(NHK)大河ドラマを見てつくづくそう思いましたね。実際にあれだけ家臣が家康に言いやすかったのかどうかはわかりませんけどね」。その上で「片岡(篤史)ヘッドは言えるんじゃないですかね。高校(PL学園)からの付き合いの人ですからね」と期待した。
都氏はこの2年のチームの実情をよく知っている。指揮官も含めて、もがき苦しんでいる多くの姿も見てきた。それだけに“今年こそは”と願ってやまない。苦労が報われる日が来てほしい。中日球団を去っても、外から見る立場になっても、勝負の3年目を迎えた後輩でもある立浪監督を応援する気持ちもまた不変なのだ。
番外編だが、都氏は中日選手とのこんなエピソードも明かした。「昔ね、大野(雄大投手)に目のしわのところが(俳優の)田中圭に似ているって言われたことがないかって聞いたことがある。柳(裕也投手)には(俳優の)鈴木亮平に似ているって言われたことがないかってぶつけたことがある。周りは『似てないよ』って言っていたけど、あるらしいですよ、2人とも。やっぱりかって。そりゃあ悪い気はしないでしょ。田中圭や鈴木亮平に似ていると言われたら」。
そんな会話を若い選手と楽しそうにできるのも、誰からも親しまれた都氏ならではだろう。プロ6年目の1982年に16勝を挙げて近藤中日の優勝に貢献した左腕であり、星野中日、落合中日の優勝をバックアップしたスコアラーでもある。2月25日に65歳になったが、まだまだ若々しい。昭和の大スター・石原裕次郎にあやかってつけられた名前は中日の歴史の中でも燦然と輝いているし、アマチュア指導など今後の活躍もまた楽しみだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)