日本一直後に戦力外「複雑でしたよ」 高校監督経て鷹復帰…21年目に明かした“本音”

就任会見に臨んだ大越基氏(右)と細川亨氏【写真:長濱幸治】
就任会見に臨んだ大越基氏(右)と細川亨氏【写真:長濱幸治】

新たに就任した大越氏「まさか自分がここにいるとは思っていなかった」

「屈辱の通告」を受けた日から、四半世紀近くの歳月が過ぎた。「21年前には、まさか自分がここにいるとは思っていなかったので……。凄く感慨深いものがありますね」。8日にみずほPayPayドームで行われたソフトバンクの新入団コーチ就任会見。4軍監督として入閣した大越基氏は「ホークスで指導したいと思ったことは1度もないです。というか、私の中で勝手に可能性がゼロだと思っていたので。だからもう、不思議な感覚ですね」と笑みを浮かべた。

 宮城・仙台育英高ではエースとして3年春から2季連続で甲子園に出場。夏は決勝戦で帝京高に延長戦の末に敗れたが、準優勝に大きく貢献した。その後、早大に進んだものの中退。米国に渡って野球を続け、1992年ドラフト1位でダイエー(当時)に入団した。当初は投手としてプレーしていたが、故障などの影響もあって野手に転向。波乱万丈の野球人生は2003年に大きな転機を迎えた。

 同年にダイエーはリーグ優勝を果たし、阪神との日本シリーズに臨んだ。「内弁慶シリーズ」としても知られる対決は、ダイエーが4勝3敗で日本一に輝いた。喜びに浸っていたのもつかの間、大越氏の運命が大きく変わった。

「日本シリーズの第7戦までベンチに入っていて。最後は和田(毅)君が投げたのかな。それで勝って。その数日後に球団から呼び出しがあって、クビになったんですよ」。予想もしていなかった戦力外通告。当時の心境は穏やかではなかった。

「正直、複雑ですよ。なんかあまり応援できなかったです……」。球団を去ってからしばらくは、テレビに映るかつての仲間たちから目を背ける日々が続いた。それでも、気持ちは時間の経過とともに変わっていったという。「やっぱり一緒にプレーしていた選手がいっぱいいたので。テレビに映る姿を見たら、徐々に応援したくなりましたね。日本ハムとのプレーオフで泣き崩れる斉藤和巳の姿とかも痛々しくて……。本当に涙が出てくるような感覚もありました」。胸のわだかまりは、いつの間にか消えていった。

 21年の時を経て、古巣のユニホームに袖を通すことになるとは露にも思わなかった。「(山口県・早鞆高で)高校野球の監督を15年やっていたんですけど。自分の中では30年、40年とやっているような感覚があって。結構、辛かったというのもありました。1度離れたいなという中で、(今年の)夏の大会が終わって1週間後に電話がかかってきたという流れだったので。本当にびっくりして……。『まさかな』と。そんな感じでした」。

 高校生を長年指導していた手腕を買われ、4軍監督への就任が決まった。これから見ていくのも、将来有望な若手選手だ。「判断を間違えると、人生が変わってしまうこともあると思います。言葉でどうやって選手たちを良い方向に導いていけるか。あとはもう本当に愛情を持って、いい言葉をかけていく。そういう部分を意識してやっていきたいなと思っています」。自らの力を再び必要としてくれた球団に恩返しを誓った。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)

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