人生“2度目”のドラフトから即出場 母国に戻って活躍の元西武31歳「挑戦者の気持ち」
元西武の呉念庭が母国から“エール”
昨季限りで西武を退団した呉念庭内野手は6月28日、台湾プロ野球のドラフト会議で台鋼ホークスから1位で指名された。今季から1軍に参入した新チーム、台鋼ホークスにとって、WBC代表、内野複数ポジションを守れ、勝負強い打撃をもつ「得点圏の鬼」である呉念庭は、戦力面としてはもちろん、興行面においても「即戦力」であるなか、入団翌日に契約、さらに指名からわずか3日後、前期最終戦の7月1月には代打で初出場を果たした。
7月5日の後期シーズン開幕以降はスタメンに定着。8月3日、台湾プロ野球初ホームランをマークすると、翌日も連発。8月4日には打率も3割台に乗せ、主に5番打者として活躍。甘いマスクもあり、声援も日に日に高まっていった。
しかし、ハイペース調整の影響もあったのか、その後、8月下旬からは20打数連続ノーヒットと不振に。8月30日にマルチヒットを記録し、ようやく不振を脱したかと思われた矢先、まさかのアクシデントに見舞われた。翌31日の楽天モンキーズ戦。守備固めに入ったファーストで、イレギュラーバウンドした強烈なゴロを顔面に受け、鼻骨と眼窩底を骨折したのだ。以降は全休を余儀なくされ、台湾プロ野球初年度は、悔しい形で終えることとなった。
無事手術を終え退院した9月5日、自身のSNSに鼻や左目が腫れ上がった痛々しい写真とともに、心配してくれたファンへの感謝の言葉、そして「早くグラウンドに戻ってプレーを通じてお返ししたい」との意気込みを記した。9月17日チーム内の「リハビリ組」への合流前には、台北ドームへ向かい、味全ドラゴンズ戦を控える1軍ナインにあいさつを行った。
この日、台湾大手紙「自由時報」に掲載された写真は、少しやつれたように見えたものの、鼻や左目の腫れそのものは、かなり引いた様子がうかがえた。「自由時報」には、ファンから「アライグマ三兄弟」と呼ばれている同僚の曽子祐、郭阜林との3ショットも掲載され、負傷以来心配していたファンを少し安心させた。
9月30日には、久しぶりにSNSを更新。里隆文トレーニングコーチとバッティング練習に取り組む姿を公開し、「手術明け1か月経ち、順調に回復できた。1日でも早く復帰出来るように頑張ります」と投稿、ドクターと並び特製のフェイスガードを手にした写真の笑顔は、回復の順調さを感じさせた。
「縁があって台鋼ホークスと、とてもスムーズに契約することができました」
10月22日には、充実感をもって秋季キャンプ第1クールを終えたと報告。完全復帰へ向けて着実に歩みを進めているようだ。以下のインタビューは8月末、負傷離脱の直前、シーズン中に行ったもの。約2か月前の内容となってしまったが、日本のファンに向け貴重な話をたくさんしてくれた呉念庭の声を、お届けする。
――ドラフト1位指名翌日にスピード契約。どのようにお感じになりましたか。
「縁があって、台鋼ホークスと、とてもスムーズに契約することができました。ドラフト前から始球式に呼ばれたり、大きな期待は伝わってきていましたが、そこをプレッシャーと感じず、少しでも早くチームに溶け込んで、勝利に貢献することが1番だと思っています。ホークスに入れて良かったな、と思っています」
――西武入団以降の8年間はで適応面での苦労はなかったですか。
「学生野球を終えてプロに入ってからは『キャンプがあってのシーズン』というのが本来の形でしたから、今年は、台湾の社会人の試合には出ていたものの、やはり試合の「強度」が違いますし、試合数もプロに比べずっと少ないので、イレギュラーというか、この半年間、自分にとって調整が難しいという部分はありましたね」
――母国、台湾のプロ野球でプレーしている感覚はいかがですか。
「毎日試合をやっていると、生活の部分ではあんまり変わりはないんですが、「冷静に考えたら、今、台湾で野球やっているんだな。帰ってきたんだな」って、そんな風に思うことが、時々あります。実際にプレーしてみると、それほど違いは感じないというのが正直なところです。ただ、打者についていうと、台湾は個性豊かというか、タイプに関わらず、どんな打者もフルスイングをする感じなのに対し、日本の打者は小技を使ったり、ヒットに徹する選手もいて、各選手が自分の役割をよくわかったうえで、その役割を徹底している、という気がします。ピッチャーについて1番違うのは、日本の投手はほぼみんな、フォークを持っていることですね。台湾では、各球団1人か2人しかフォークを持っていないので。特に、追い込まれるまでは、日本の時ほどはケアしなくて済む部分はあります。あとは、投手有利のカウントで、台湾はストレートで勝負してくる傾向がありますが、日本では変化球というケースも多いですね。
――国際大会も含めて、台湾の応援スタイルについてはどう思われますか。
「日本とは違い、内野に応援団がいて、一、三塁の内野から外野にかけてホームのファンが席を埋める『オールホーム』という形でやっています。プレーしてみて、ホームの時は力になるし、盛り上がりますよね。より、エンターテイメント性が高い感じです。野球は国によってプレースタイルが異なりますが、応援も異なるので、そこが見どころの一つだと思います。日本のファンにも是非注目してもらいたいですね」
――元NPB、そしてWBC台湾代表でもある王柏融選手からの助言は。
「特に、アドバイスといったものはないです(笑)。一緒に日本で長いことやってきたんで、ボーロンも日本のスタイルに慣れちゃったかなと僕は見ていて、まあ、ふたりとも新たなスタイルというか、ボーロンもCPBL経験者といっても、5年以上離れると台湾のレベルも高くなっているので、僕は『挑戦者』の気持ちで、新たな環境に慣れることを一番に心がけています」
「台湾で元気な姿でやっていれば必ず日本に届くと思う」
――台湾プロ野球には、陳傑憲選手(統一セブンイレブン・ライオンズ)がいるわけですが、陳選手と同じグラウンドで戦う気分はどうですか。
「リーグでは敵になりますよね。傑憲は、台湾プロ野球の顔でありリーグを牽引するスター選手ですからね。高校の頃とは違って『大人』というか、選手会会長もやっていますしね。彼に負けないよう、今後は一緒にリーグを盛り上げていきたいと思います」
――洪一中監督からチーム内での役割について何か話はあったんでしょうか。
「特に監督から具体的に何か言われたということはないです。ボーロンもそうですが、自分たちの試合に対する準備の仕方とか、練習中の態度とかは、若い選手たち、後輩たちの目に入ると思うんで、責任感というか、いつもしっかり準備はしていますね」
――台湾の生活はいかがですか。食事や気候にはすぐ適応できましたか。
「いや、日本食に慣れちゃっていて(笑)。でも徐々に慣れてきているし、時間の問題だと思うので、特に気にはしていないんですがね。気候については、日本も暑かったんですけど、台湾はやっぱり、さらに湿気があって、最初は苦労したんですけどね。今は、気温も下がってきましたし、徐々に慣れてきました」
――日本食の中で、何か恋しい料理はありますか。
「日本の場合、特にランチメニューはあっさりしてるじゃないですか。西武時代、毎日球場に用意されていたのはラーメン、そば、うどん。あと、おかずが何種類かあって、唐揚げもあるみたいなのが当たり前だと思っていたので。こっちは毎日弁当なのでね……。台湾の弁当は美味しいんですよ。でも、あっさりしたスープとかが欲しくて。日本食で恋しいものは、強いてあげれば焼肉ですけど、焼肉は台湾にもあるし。やはり、毎日食べていたうどん、そばとかですかね。でも、岡山に留学したばかりの頃は日本の食事が口に合わなくて。大学3年くらいで、やっと慣れたんですけどね(笑)」
――台湾のコーヒーも美味しいです。
「台湾のコーヒーも美味しいですよ。最近は某大手コンビニで買うことが多いです。日本ではルーティーンでやっていたんですが、注目されていたとは意外でした(笑)」
――西武の元同僚で、主に連絡をとられている選手は誰でしょう。
「川越(誠司)が登場曲を使ってくれているという話は僕の耳にも届いていました。同期であり同級生でもあるので、本当に困ったことがあったら川越に相談しています。あとは外崎(修汰)さん。外崎さんはよく自主トレを一緒にさせてもらいましたし。他には、今は巨人に移った若林(楽人)、蛭間(拓哉)くんとか、山野辺(翔)とかですね。毎日じゃないですけど、1週間に1回くらいですね。
――日本のファン、特に西武ファンがプレーに注目しています。古巣への思いを語っていただけますか。
「プロに入って8年間、ライオンズは、自分を成長させてくれた球団であり、ライオンズなしに今の自分はないと思っているので、常に古巣へ感謝しながら台湾でも頑張っています。他の球団に行ったとしても、やはり最初のチームに1番思い入れありますし、絶対に忘れることはありません。今はスマホもあって便利な時代なので、台湾で元気な姿でやっていれば必ず日本に届くと思うので、それが一番だと思っています」
(「パ・リーグ インサイト」駒田英)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)