埼玉大会で金字塔を打ち立てた岡崎淳二氏 118球すべて直球「打たれたら後悔する」

川越商・岡崎淳二氏が2年連続の完全試合「勝ててよかった」
近大付(大阪)が選抜大会で、天理(奈良)が選手権大会で優勝した1990年、川越商(現・市立川越)の岡崎淳二投手が夏の埼玉大会で、2年連続2度目の完全試合を成し遂げた。埼玉の高校野球史上初の金字塔を打ち立てたことで、中学で野球を辞めていたかもしれない男の人生が、ガラリと変わった。
前年夏の埼玉大会、川本(現・寄居城北)との初戦の2回戦で完全試合を達成。埼玉県で夏は2人目、通算4人目の快挙だった。
その2か月後の秋季西部地区予選1回戦では、鶴ヶ島(現・鶴ヶ島清風)を相手に1四球に2失策、13奪三振の無安打無得点で勝利。しかし岡崎さんは「1-0の辛勝でしたし、勝てて良かったという気持ちだけ。負けないことが大前提なので、記録についての思い入れはありませんね」と個人の手柄に関心はなかった。
最後の夏。第72回全国高校選手権埼玉大会、6-0で快勝した7月16日の行田(現・進修館)との1回戦でまた完全試合を演じてみせた。三振19、内野ゴロ4、内野飛1、外野飛3、投じた118球はすべて直球だった。「前年と同じで相手の情報が全然なく、自信のない変化球で打たれたら後悔するので、直球で押しまくりました」と振り返る。
記録は5回が終わって頭をかすめたが、円谷宣之監督は大会前から不安定な守備を案じていた。「1年生の遊撃手が途中、『僕の所に飛ばさないで下さい』ってお願いにきたんですよ。ゴロは危ないと思い、終盤は前に打たせないようにした」と述懐。7回から打者9人に対し、7つの三振を奪ったのだから恐れ入る。球場は前年と同じ川越初雁で、奇遇にも主審まで同じ。茂木功主審は「ピンポン球みたいに小さく見えた」と直球の速さに驚いていた。
地方大会での2年連続完全試合は、1971年、1972年の栃木大会で作新学院・江川卓投手が達成して以来、史上2人目の出来事。「翌朝の新聞で知りました。江川さんとはレベルがまるで違いますが、並べてもらえるだけでもうれしかった」とニンマリした。
準々決勝で浦和学院に惜敗し、連覇はならなかったが、チームでやり切った充実感に浸ったそうだ。
努力が生んだ勝負球「最低でも1日100球は投げ込み」
ところで、あの抜群の制球力はどうやって身に付けたのか。「最低でも1日100球は投げ込み、キャッチボール30球と立ち投げです。月曜から日曜まで、いくら投げても平気でした。投手が打たれたら試合をつくれないので、責任感が強かったと思う。コントロールをつけるため、かなりの練習量をこなしました」と努力の成果を照れくさそうに口にした。
投球術については「円谷監督から右打者の内角を攻めろと口酸っぱく言われたので、それは社会人で引退するまで続けました」と胸元をえぐる直球が勝負球だった。
3年生の時に転校してきた上福岡市立1中(現・ふじみ野市立福岡中)では、野球部に入るつもりはなかったが、親友に誘われて入部。これがきっかけで川越商に進学し大記録を樹立した。
特待生で入学した東洋大でも先発の一角を担い、鷺宮製作所や三菱重工広島など複数の社会人チームから声をかけられ、鷺宮製作所に入社。社会人野球日本選手権や都市対抗野球大会でも活躍し、2011年に引退すると2020年から3シーズン、監督として指揮を執った。
人間万事塞翁が馬。
「転校した中学で野球をやるつもりはなかったし、川越商以外の高校だったらやっていなかったはず。法政や明治、亜細亜からも誘われましたが、練習が厳しそうなので行きたくなかった。そもそも大学と社会人でプレーするなんて思ってもみませんでしたからね。プロ野球? 高校の時(ドラフトに)かかったら入団したかもしれませんね」
双子の息子がボーイズリーグに所属していた時はコーチを担い、各地の中学生野球教室にも参加。東洋大の先輩、谷口英規監督の依頼で上武大の投手コーチとして、土・日曜は埼玉から群馬県伊勢崎市まで指導に出向いている。
野球が大好きな53歳は感慨深げに語り始めた。
「高校時代の仲間とは今でもよく集まります。あの3年間が今につながり、野球のおかげでいろんな方々と出会えました。私の一番の財産です。野球界には長い間お世話になったので、いろんなことで還元していきたいですね」
あれもこれも、全ては2度の完全試合から始まった。
◯著者プロフィール
河野正(かわの・ただし)1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部でサッカーや野球をはじめ、多くの競技を取材。運動部長、編集委員を務め、2007年からフリーランスとなり、埼玉県内を中心に活動。新聞社時代は高校野球に長く関わり、『埼玉県高校野球史』編集にも携わった。著書に『浦和レッズ・赤き勇者たちの物語』『浦和レッズ・赤き激闘の記憶』(以上河出書房新社)『山田暢久 火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ 不滅の名語録』(朝日新聞出版)など。
(河野正 / Tadashi Kawano)