阪神ドラ3右腕は「3番手の投手だった」 大学時代はノーマーク…恩師が語る“発掘”の裏側

加藤伸一氏の教え子、木下理都がドラフト3位で阪神に入団
元ホークス右腕の加藤伸一氏は、2022年から福岡市の社会人野球チーム・KMGホールディングスで監督を務めている。スカウティング活動も含めてチーム力強化に全力を注ぐ日々だ。2023年に社会人野球日本選手権大会、2024年には都市対抗大会にも出場。2024年のドラフト会議では教え子右腕の木下里都投手が阪神から3位指名を受けた。長男・大貴さんはマネジャー。「息子も一生懸命やってくれています」と目を細める。
加藤氏は2004年に近鉄で現役を引退。2011年からはソフトバンクで投手コーチ、編成・育成部育成担当を務めて2016年に退団。2017年に九州三菱自動車硬式野球部(現・KMGホールディングス硬式野球部)の投手コーチに就任し、2022年からは監督を任され、現在に至っている。「こんなに大変だとは思っていなかったですね。やらなきゃいけないことが多いんです。選手も僕が獲りにいかなければいけないですからね」。
監督業務とともにスカウト業務もこなす。「スカウティングで全国の大学生を見に行きます。もちろん、神宮球場にも行きますよ。12球団スカウトと、ほとんど行動は一緒です。(名が知れた)一流選手を大手の企業に獲られてしまう中で、いい選手を見つけなければいけないんですけどね」。情報も必要だし、選手を見極める眼力も必要。それこそプロ生活で培ってきたものを“フル回転”させてチーム強化に動いている。
2024年ドラフト3位で阪神に入団した木下も、その中で“発掘”した選手の一人だ。「彼は福岡大で3番手のピッチャーだったんです。福岡舞鶴高校の時は野手。大学でも野手で、3年生からピッチャーになったんですけど、見たら球持ちがいいし、すごいボールを投げるなと思いました」。プロも他の社会人野球チームもそれほどマークしていない中、その潜在能力を高く評価して獲得。KMGホールディングスでさらに成長し、プロ入りを果たすまでになったわけだ。
阪神に入団した木下は1年目から1軍で登板。「まだまだいろんな事を覚えないといけないと思いますけど、頑張っていますよね」と加藤氏もうれしそうに話す。木下の活躍はKMGホールディングスにとっても大きなプラス。「そうなんですよ。あそこに行ったらプロに行けるかもしれんぞって言われるようになれば……」とうなずいた。「また彼みたいな選手を探さないといけないですよね」とスカウティングにもさらに力が入っているようだ。
実際、チーム力も着実にアップしている。2023年は日本選手権、2024年には都市対抗にも出場した。2025年の都市対抗出場は九州地区代表まで、あと1勝というところで逃したものの、今後に向けて楽しみも増すばかりだ。福岡・香椎高から神戸医療未来大を経て2025年にKMG入りしたMAX157キロ右腕の牟田稔啓投手ら将来有望な選手も抱えている。指導する側としてやりがいも増すばかりだ。

マネジャーの長男と追いかける夢「日本一になりたい」
長男・大貴さんもチームのマネジャーとして加藤氏とともにチームを支える。「息子は東福岡、福岡大と野球部でピッチャー。僕が(KMGの)ピッチングコーチの2年目に獲って4年間プレー。引退してマネジャーとなり親子鷹です。自分で言うのも何ですけど、一昨年に(日本選手権出場を決めて)勝った瞬間は抱き合って号泣して、去年は(都市対抗で)東京ドームに行けて、今年は(九州地区大会で)負けてまた泣いて……。まぁ、泣いてばかりいるんですけどね」と言って微笑んだ。
親子で同じ目標に向かって突き進む。「野球部に来てもらった選手は、野球でも九州三菱自動車販売株式会社のディーラー業でも幸せになってほしい。このチームに来てよかった。ここの社員になってよかったと思ってもらえる組織作り、雰囲気作りをしていきたい。息子も無茶苦茶、頑張っているし、それも報わせてやりたいというのが監督として、父親としての役目だし、イコールそれが加藤家ファミリーの目標。東京の娘が嫁いでいる家族もね」とにっこり。「今は毎日がすごく充実しています」と言い切った。
社会人野球にも元プロの監督が増えている。「元プロという見方をされるのはうれしい半面、襟を正さないといけないですけどね。大企業のチームが強いのは当たり前だけど、そこに立ち向かって、そこそこ戦えるチームにしたい。毎年当たり前のように(全国大会に)出られるチームをつくりたいし、偶然でもいいけど日本一にもなりたい。あそこ(日本選手権、都市対抗が開催される京セラドームや東京ドーム)で胴上げされたい。それが夢ですよね」。
加藤氏は選手として南海・ダイエー、広島、オリックス、近鉄の4球団でプレー。コーチとしてもソフトバンクで力を発揮した。「関わった球団は今も全部、気になりますよ。といっても南海もダイエーも近鉄もなくなった。球場も大阪、平和台、藤井寺、(旧)広島市民もなくなりましたけどね」と時の流れを感じながらも、今を大切に、現役やコーチ時代と同様に、何事にも全力投球で野球人生を全うしている。
不祥事続きで対外試合禁止がほとんどだった不遇の倉吉北時代、ドラフト1位で南海に入団も右肩手術。その後も戦力外、テスト入団、カムバック賞、自由契約で移籍、FA宣言など様々な経験をして4球団を渡り歩き、現役ラストイヤーには球団消滅も経験した。指導者としてはソフトバンク2軍投手コーチとして千賀滉大投手(現メッツ)らを1軍に送り出し、2014年には1軍投手コーチとしてリーグ優勝&日本一も味わった。これまでの経験全てが現在の加藤氏を形成している。
「18歳でプロに入って、こうやって好きなことをやれているのは幸せなのかもしれませんね。野球に関わる以外の仕事はしたことがないですもんね。まぁ健康でやらなきゃいけないと思っています」。1965年7月19日生まれ、ホークス伝説のイケメンエースは60歳になったが、まだまだ若々しい。いずれはシュート、シュートで強打者に向かっていった自身のような投手も育てることだろう。ここまで加藤氏は多くの“難題”をクリアしてきた。さらに乗り越えていくはずだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)