都市対抗野球は「命をかけるくらいの思い」 新人賞→五輪でドラ2入団…1928安打の原点

谷佳知は三菱自動車岡崎野球部から初のプロ入り
オリックスと巨人で通算1928安打を放つなど活躍した谷佳知氏は、1995年に行われた第66回都市対抗野球大会で若獅子賞(新人賞)を受賞するなど、社会人野球と五輪での実績を引っ提げてプロ入りした。引退後は東芝野球部のエグゼクティブ・アドバイザーを務め、現在は解説者として活動している。社会人野球の魅力を知り尽くす谷氏が、当時の思い出と今年の都市対抗野球への展望を語った。
大学卒業後、プロ入りの夢はかなわず三菱自動車岡崎へ入部。当時は創部2年目ながら、三菱系各地から実力者が集まり、強豪ひしめく東海地区でも戦える布陣だったという。谷氏は社会人に進んで本格的にウエートトレーニングにも力を入れ、データ野球の要素も経験。「走り込みが少なくなったのはありがたかった」と振り返る。
1995年はチームが都市対抗に出場できなかったが、新日鐵名古屋(現・日本製鉄東海REX)の補強選手として参戦。東京ガスとの初戦で本塁打を放ち、若獅子賞を獲得した。「ユニホームもスーツも支給され、出場機会も必ず与えられた。恵まれた環境で1か月間、すごく楽しかった」と懐かしむ。チームは準々決勝で敗退したが「記憶に残る大会でした」と振り返った。
社会人時代最大の思い出はアトランタ五輪。松中信彦氏や福留孝介氏ら、後にプロで活躍する選手とともに戦った。当時はキューバ対策が重視されていたが、実際に対戦すると投手陣の速球には衝撃を受け、「打席で感じた球を打つ」というシンプルな姿勢を貫いたという。この経験はプロ入り後も変わらぬスタイルとなった。
同年秋のドラフトでオリックスにドラフト2位で入団し、三菱自動車岡崎初のプロ選手が誕生。以降、同野球部から多くのプロ選手が生まれ、後輩の山口和男氏(現オリックススカウト)もその1人だった。
谷氏は引退後、2021年に東芝のエグゼクティブ・アドバイザーに就任。強豪ひしめく中で「今年の東芝は“打”のチーム。強打者が揃っており、打ち勝つ野球で優勝を」と熱い期待を込める。惜しくも29日の1回戦でJR東日本に1点差で敗れたが「選手たちは都市対抗野球大会のために1年間練習を積み重ねています。その努力が目に見えてわかりますし、命をかけるくらいの思いで取り組んでいます。選手たちには自分にとっていい大会、思い出に残る大会になってほしい」と出場する選手らにエールを送った。
(「パ・リーグ インサイト」編集部)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)