甲子園Vも「野球だけじゃダメ」 沖縄尚学に流れる“哲学”…律した「私生活の乱れ」

夏の甲子園優勝を果たした沖縄尚学ナイン【写真:加治屋友輝】
夏の甲子園優勝を果たした沖縄尚学ナイン【写真:加治屋友輝】

8月27日の日本ハム戦では日大三出身の山崎福也と先発対決し“返り討ち”に

 西武で先発ローテの一角を担い今季5勝3敗、防御率2.84(8月31日現在、以下同)をマークしている與座海人投手は、今夏の第107回全国高校野球選手権大会で初優勝を成し遂げた沖縄尚学のOBだ。現在も指揮を執る比嘉公也監督から指導を受けた経緯がある。

 沖縄尚学が決勝戦で日大三(西東京)を破り、深紅の大優勝旗を手にしたのが8月23日。與座は4日後の27日、本拠地ベルーナドームで行われた日本ハム戦に先発。その際、相手の先発投手が日大三出身の山崎福也投手で、夏の甲子園決勝の“再戦”と話題になった。

「対戦するのは山崎投手ではなく、相手チームのバッターですし、高校を意識する余裕はなかったですよ」と苦笑するが、5回1/3を2失点に抑え、4回途中3失点で降板した山崎福也に投げ勝つ形で今季5勝目を挙げた。

 もちろん、母校の夏の甲子園での快進撃はテレビ中継などを通して応援していた。「2人の投手(末吉良丞投手=2年と新垣有絃投手=2年)のレベルが高かったのはもちろんですが、僕はキャッチャー(宜野座恵夢捕手=3年)も、相手が的を絞りにくいリードをしていたと思います。あれだけ投手の能力が高いと、配球はワンパターンになりがちだと思うのですが、インコースからの曲がり球(フロントドア)を使ったり、スライダー系を待たれていると感じた時にはフォークを使ったりと、よく工夫していたと思います」と称えた。

 與座自身は2歳上の兄・健人投手(現パナソニック)の後を追って沖縄尚学に入学した。2年生の夏に、比嘉監督の勧めでオーバースローからサイドスローに転向(さらに岐阜経済大=現岐阜協立大進学後、アンダースローに変更)。「オーバースローで投げていて、ちょっとイップスみたいになった時期がありまして、その時に比嘉先生から勧められました。フィールディングで三塁へ横から投げるのは得意だったので、そういうところを見て言ってくれたのだと思います」と振り返る。

西武・與座海人【写真:小池義弘】
西武・與座海人【写真:小池義弘】

在学中のエース末吉とも共通する「投げ込みがうまくなる一番の近道」

 3年生の時には春夏連続で甲子園出場。春の選抜では、1回戦の敦賀気比(福井)戦に3番手として登板し1回2/3、4失点だった。夏はチームが2回戦まで進出するも、登板機会がなかった。「最後の夏に投げられなかった不完全燃焼感が、大学での成長につながったと思っています」と述懐する。

 沖縄尚学時代に築き、今も支えになっているものがある。「当時の沖縄尚学は、投手も野手と一緒に手で転がされたボールを繰り返し捕って、しっかり捕球の形をつくる練習をしていました。今のフィールディングの基礎になっていると思います」とうなずく。

 さらに「毎日のようにブルペンに入っていたので、ピッチングの土台ができました。他にもやらなければいけないことはたくさんありましたが、投げることがうまくなる一番の近道だと教わりました」とも。この点は、在学中のエース・末吉も「投げることでしか、投げる体力はつかない。誰よりも投げ込むことが大切だと思います。今年はゴールデンウィークから沖縄大会の2週間前まで1日100~110球を、3日続けたら1日ノースローを挟む形で投げ込みました」と明かしていた。“投げ込み重視”の方針は現在に至るまで貫かれているようだ。

 また、「私生活の乱れが試合でのミスにつながる」と言い聞かされたそうだ。「遅刻はもちろん、ゴミが落ちていることに気づかずに通り過ぎたりすると、比嘉先生に厳しく指摘されました。グラウンド整備、雑草を抜くこと、道具の手入れをすることも同様です」と回顧。「野球では相手の狙いを察知したり、隙を突いたりすることが大事ですが、私生活で目配り、気配りをする癖をつけておくことが、いざ野球となった時に役立つと教わりました」と説明する。

 比嘉監督は自身が沖縄尚学3年在学時に、エースとして春の選抜で沖縄県勢として春夏を通じ初の全国制覇を成し遂げた“レジェンド”。監督としても2008年の春に東浜巨投手(ソフトバンク)を擁して選抜大会で優勝し、今度は初めて夏の甲子園を制した。それだけの実績を積み上げてもなお「野球だけじゃダメなんです」と強調する教えは、今も與座の胸の中に生きている。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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