大記録目前も…先輩からの“圧力”で困惑「やっぱり駄目」 悔やんだ結末、届かなかったフルスイング

羽田耕一氏、プロ3年目に歴代2位タイの4打席連続本塁打
元近鉄内野手の羽田耕一氏は高卒3年目の1974年、監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たした。4月29日の阪急戦(西宮)から5月1日の太平洋戦(平和台)の2試合にまたがって4打席連続本塁打を放つなど、大きく成長した打撃力が評価されてのことだった。感激の夢舞台、セ、パ両リーグの超一流選手たちの中で特別な存在に映ったのは巨人・長嶋茂雄内野手。「もう見ただけで緊張しました」と胸が高鳴ったそうだ。
近鉄が西本幸雄監督体制になった1974年、兵庫・三田学園から入団して3年目の羽田氏は、「3番三塁」で初の開幕スタメンに起用された。期待されたバットは絶好調。4月25日の日本ハム戦(後楽園)でシーズン3度目の3安打猛打賞。4月29日の阪急戦(西宮)では5打数4安打2本塁打4打点で4度目の猛打賞を記録し、その試合の4打席目から次試合の5月1日の太平洋戦(平和台)の2打席目まで4打席連続本塁打(歴代2位タイ)もマークした。
「どれも来た球にバットを振ったら当たって飛んでいくって感じでしたね。(配球などは)全然考えていなかった。何かタイミングがあったんでしょうね。最初の(阪急戦の)2本が宮本(幸信)さんと山田(久志)さんから。山田さんのはバックスクリーンに打ったのを覚えています。2試合目(の太平洋戦)は2本とも三浦(清弘)さん。ナックルをね。ストライクからストライクのナックルだったと思いますけどね」
しかし、5打席連続がかかったその日の3打席目は太平洋の2番手・柳田豊投手に前に三振に倒れた。「3球三振でした。あの時ね、誰だったか先輩に言われたんですよ。『次も打ったら記録だぞ』って。それまで、そんなことも知らなかったのが、意識してしまった。やっぱり意識しちゃあ駄目ですよね。もう力んじゃって全然。柳田さんの高めの真っ直ぐにね。速かったです。サイドスローであれだけのスピードが出るピッチャーは当時、他にいなかったんじゃないかな」。
ホームラン狙いのフルスイングがすべて空を切った。「いろいろ考えると駄目。先輩に何も言われていなかったら、四球で歩くこともできたかもしれないしね」。2025年8月21日の楽天戦(ZOZOマリン)でロッテ・山口航輝外野手が前の試合の最終打席から4打席連続本塁打をマーク。5打席目はチームメートに”次打ったら記録”みたいに言われて意識して打てなかったことをヒーローインタビューで話したが、1974年5月1日の羽田氏もまさに同じ形だったわけだ。
その翌日の5月2日の太平洋戦で羽田氏はプロ初の4番で起用された。3番が小川亨外野手、それまでの4番・土井正博外野手は5番だった。「それも覚えていますよ。はっきり言って荷が重いと思いました」と言うが、そんな中でも結果を出した。その日の太平洋戦はダブルヘッダーで行われ、羽田氏は2試合とも4番で、いずれも4打数2安打。続く5月4日の日本ハム戦(藤井寺)も4番三塁で、これまた4打数2安打と打率を4割4分まで跳ね上げた。
「あの時は、ちょっと土井さんの調子が悪かったんじゃないですかね。まぁ僕は4番じゃなくて4番目の感覚でいたと思う」。実際、土井は5月1日段階で打率1割台に低迷していたが、5番降格後から打ち出して、5月11日の日本ハム戦(青森)からは「3番羽田、4番土井」に戻った。この年の羽田氏の4番起用は8試合で終わったが、貴重な経験だっただろう。さらに、そんな活躍が認められてオールスターゲームにも初出場した。
オールスター戦で見た長嶋茂雄氏「オーラどころじゃなかった」
「パ・リーグは(日本ハムの)張本(勲)さん、大杉(勝男)さん、(ロッテの)有藤(通世)さん、(南海の)野村(克也)さんとか錚々たるメンバーだし、セ・リーグも(巨人の)長嶋さんに、王(貞治)さんでしょ……。もうウワーって思いました。なかでも長嶋さんはやっぱり、何ていうんですかねぇ。見ただけで緊張しましたね」。羽田氏はプロ1年目(1972年)の秋から長嶋氏のタイミングの取り方を真似るなど徹底研究して、自身の成長につなげた。
それもあってか、スーパースターは、さらに特別な存在にもなっていた。「オープン戦で巨人のフリーバッティングを見た時、長嶋さんはライナーばっかり打つんですよ。凄いなぁと思いましたね。試合では同じサードじゃないですか、チェンジ交代で長嶋さんと行き違って挨拶するでしょ。あの時、頭、真っ白になったです。別格です。長嶋さんは。もうオーラどころじゃなかったですよ」。1974年球宴第2戦(7月22日、西宮)はスタメン三塁のセが長嶋氏でパが羽田氏。それも忘れられない思い出になっている。
そんな高卒3年目の羽田氏の最終成績は130試合、打率.248、14本塁打、55打点。絶好調だったシーズン前半と打って変わって、後半は苦しんだ。相手に研究されたという。「攻め方が全然変わりました。真っ直ぐ系が少なくなったというか……。自分自身ももうちょっと研究すればよかった。走者がいる時といない時とかの配球とかもね。そうしていれば、もうちょっと成績がアップしていたかなぁ」と話すが、それもまた経験。その野球人生はどんどん厚みを増していった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)