親の前で飛んできた左手「なめとんのかぁ!」 突然の鉄拳に同僚は同情…後に知った誤解

近鉄で活躍した羽田耕一氏【写真:山口真司】
近鉄で活躍した羽田耕一氏【写真:山口真司】

西本幸雄監督からベンチで“鉄拳”

 若い時期から近鉄の主力選手として活躍した羽田耕一氏の背番号はプロ4年目の1975年に「30」から一桁の「3」になった。1974年オフに太平洋(現西武)にトレード移籍したスラッガー・土井正博外野手がつけていた番号を継承した。これも期待の大きさの表れだったが、この年は“思わぬ出来事”にも遭遇した。恩師である西本幸雄監督に試合中のベンチ前で「お前は俺をなめとんのかぁ!」と激怒されたことだ。

 1974年オフに近鉄・土井と太平洋の柳田豊投手、芝池博明投手の1対2の交換トレードが成立した。打倒阪急に燃える西本監督が、ブレーブス戦に好投する柳田の獲得に乗り出し、パ・リーグを代表する主砲・土井まで放出したと言われる。羽田氏はその土井の背番号3を1975年シーズンからつけた。「契約更改の時に言われたけど、土井さんのあとなんて重たいと思いましたよ。他球団も3番ってすごい人ばかりでしたからね。でももう決まったからって……」。

 それでも臆することなくプレーした。4月5日の阪急との開幕戦(西宮)に「3番・三塁」で2年連続開幕スタメン。試合は2-6で敗れたが、羽田氏は4打数2安打でスタートした。1-0で勝った4月20日の南海戦ダブルヘッダー第2試合(藤井寺)では近鉄・神部年男投手がノーヒット・ノーランを達成。「(三塁を)守っていてやっぱり緊張しましたよ。飛んでくるなよって思いながら守っていました。結構飛んできましたけどね」。それもまたいい経験になったという。

 だが、打撃の状態は決してよくなく、5月に入ってから6番や7番で起用されることも増えた。そんな時に“事件”は起きた。5月30日の阪急戦(西宮)、羽田氏は「6番・三塁」で出場していた。試合は4回を終わって0-1。近鉄打線は阪急先発の剛腕・山口高志投手に封じ込まれていた。そして迎えた5回の近鉄の攻撃。この回の先頭打者の羽田氏が内野ゴロに倒れて、ベンチに戻る際に西本監督から激高された。

「ベンチの階段に一歩踏み出そうとしたときですよ。西本さんが『お前は俺をなめとんのかぁ!』って。『いいえ』と答えた瞬間には左手が飛んできた。手袋をはめたままのね」。スタンドのファンからも見える位置での“一撃”だったそうだ。「丸みえでしたからね。確か、あの日は僕の親も見に来ていたんですよ。まぁ僕もあっけにとられました。凡退したからなのかなぁとその時は思っていましたけど、後で先輩に『お前、かわいそうだな』と言われて……」。

同僚からは同情「かわいそうだな」

 羽田氏は「あの時、世間に知られたのは、ただどつかれたということでしたけどね」と苦笑しながら、その“真相”を説明する。「これは、後で聞いた話ですけど、その回に入る前に西本さんが(円陣を組ませてのベンチ前)ミーティングで『ワンストライクを待て、高めのボールには手を出すな』と言っていたそうなんです。僕は先頭打者だったから、その輪の中に入っていなかったんです。で、初球、山口高志さんの真っ直ぐ、高めのボールを空振りしたんですよ」。

 この時、羽田氏は打席の中でベンチの西本監督の怒りの反応を感じたという。「空振りした瞬間に西本さんが『ウワーッ!』って言っていましたからね。それはわかりましたよ。ボール球を振ったからかなぁとは思っていましたけどね」。結果はさらに高めのボール球をファウルにした後に内野ゴロで凡退。そして、ベンチに戻るや、激怒された。西本監督は羽田氏が円陣に入っていなかったことを知らずに指示を無視されたと勘違いしてブチ切れていた。

「僕だって(指示を)聞いていれば、そんな1球目から振らないですよ」と羽田氏は言う。チームメートはそれがわかっていたからこそ「かわいそうだな」と声をかけたわけだ。なんともむなしすぎる現実だったが「でも、あれで何かベンチの雰囲気が変わって、その回に山口さんから3点とって逆転して、試合も勝ったんですよね」と話す。衝撃的なシーンが結果的に、近鉄ナインをピリッとさせたようだが……。

 いかなる時でも暴力は駄目だが、羽田氏は「でも西本さんには本当にお世話になったし、いろんなことを相談して親身にもなってくれましたしね。感謝の気持ちは常に持っています。ユニホームを着たら鬼ですけど、ユニホームを脱いだら普通のおっちゃんですしね」と付け加える。ちなみに、この誤解の件について後日、西本監督から謝罪などは「一切ないですよ。それっきりですよ」と言って笑った。美談ではないが、師弟関係ならではのものもあったようだ。

 当時のパ・リーグは前後期制。1975年の近鉄は後期優勝を成し遂げたが、プレーオフで前期優勝の阪急に敗れた。羽田氏は126試合、打率.221、15本塁打、46打点の成績に終わった。あのベンチ前のシーンに関しては「僕はもう忘れたい気持ちの方が強いですけどね」とつぶやいたが、この先の、状態がいい時も、悪い時も恩師が寄り添ってくれたのも事実。西本監督とのエピソードはまだまだ続く。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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