6度の右肘手術、苛まれた“劣等感” 逆境続きの15年…ボロボロの169cm右腕を支えた「反骨心」

引退会見に出席したロッテ・美馬学【写真:尾辻剛】
引退会見に出席したロッテ・美馬学【写真:尾辻剛】

古巣・楽天戦前にマリンスタジアムで会見

 小さな体で度重なる怪我を乗り越えてきた原動力は、誰にも負けない「反骨心」だった――。ロッテ・美馬学投手が18日、古巣である楽天との試合前に本拠地ZOZOマリンスタジアムで引退会見を行った。19日が39歳の誕生日となる169センチ右腕。楽天とロッテの2球団で計15年間プレーを続けてきた中、38歳最後の日にプロ野球人生に区切りをつけた。

 グレーのスーツとネクタイで登場した美馬は冒頭「今年で15年間の現役生活に幕を下ろすことを決めました。本当にお世話になりました」と挨拶。引退を決断した時期を「8月末から9月頭」と明かし、その理由について「怪我をして、リハビリをして、なかなか良くならない中で球団の方といろいろ話をしている時に、引退試合をしてくださるという話を頂いて、気持ちの整理がついた」と涙を見せずに説明した。

 アンナ夫人には相談することなく引退の決断を報告したそうで「よく頑張ったね」とねぎらいの言葉があったという。2人の子どもたちの反応は「僕と長い時間一緒にいられるならなんでもいい」というようなものだったそうで、引退後については「何も決まっていない。15年間お世話になったプロ野球界に何か恩返しできることがあればやっていきたいし、何か携われたらいい」とした。

 藤代高、中大、東京ガスを経て2010年ドラフト2位で楽天に入団。1年目の2011年から23試合に登板し、2013年の巨人との日本シリーズでは2勝を挙げる活躍でシリーズMVPに輝き、球団初の日本一に貢献した。プロ生活で一番の思い出は「日本一になれたのが一番です」と回顧。11勝でプロ初の2桁勝利を挙げた2017年も挙げ「(闘病中だった)お母さんの前で2桁勝利を達成できたのが良かった」と同年12月に61歳で死去した母・明美さんとの思い出も振り返った。

 2019年オフにFA権を行使してロッテに移籍。加入1年目の2020年は10勝をマークした。「ロッテでは1年目で2桁勝った試合も印象深い。8回途中まで投げて、後輩の沢村につないで、最後は益田が締めてくれました。チーム一丸で戦ったベストゲームだった」。2022年にも10勝を挙げたが、右膝を痛めた2024年は3試合登板で0勝に終わり、プロ入りから13年連続で記録していた勝利記録が途絶えた。2軍で実戦復帰した今季は、ここまで1軍登板なし。通算成績は266試合に登板し80勝88敗5ホールド、防御率3.94だった。

ロッテ・美馬学【写真:小林靖】
ロッテ・美馬学【写真:小林靖】

30日に引退試合「いい舞台を用意してもらえる」

 プロの投手としては小柄な169センチ。投球に角度がつかない分、球威や変化球、制球を磨いてきた。中大時代の2度も含め、右肘手術は6回。そのたびに苦難を乗り越えて復活してきた闘争心は誰にも負けない自負がある。「本当にたくさん打たれました。身長もそうですし、劣等感の中でやってきました。反骨心を常に持って、次はやり返したいと思いながら、やってきました」。

 だからこそ、後輩たちに伝えたい思いがある。「何度も怪我して、たくさん立ち上がってきました。苦労しても諦めなかったから、ここまで来られました。後輩たちにも諦めずに、まずは戦ってほしい」。会見後にサプライズで花束を持って駆けつけた中大後輩・沢村から「まだ終わってない。最後まで勉強させてもらいます」と言葉をかけられると「実感が湧いてきちゃいました」と漏らし、思わず目が潤んだようにも見えた。

「ボロボロだった体を、たくさんの方に支えてもらいました。本当にあっという間の15年間。つらいこともたくさんあったけど、日本一も経験できたし、2球団でプレーできた。幸せな思いをたくさんさせてもらいました」。30日には楽天相手の引退試合が待っている。「いい舞台を用意してもらえる。お世話になった両チームの前で最後に投げている姿を見せられたらいいと思います」。小さな体を目いっぱい使ったダイナミックなフォームをもう一度見せる。その背中を追いかけてきた多くの後輩たちのために、最後の一仕事が残っている。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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