佐々木朗希が“余儀なくされた”選択 迫っていた時間…全てを変えた球団との面談

佐々木を復活に導いた30歳のピッチング・ディレクター
メジャーデビュー1年目から右肩の故障に苦しみ、満足な結果を残せずにいたドジャースの佐々木朗希投手が、救援としてポストシーズンに復活を遂げた裏側には、何があったのか。9月初旬、アリゾナ州の球団施設で行われた面談を機に、佐々木は自身の投球フォームの全面的な見直しを決断。“デーモン・クローザー”誕生へ、静かに大改革が進んでいた。
米スポーツ局「ESPN」のジェフ・パッサン記者が、復活までの舞台裏を記事に取り上げている。5月中旬から右肩インピンジメント症候群で負傷者リスト(IL)入りし、3Aで調整していた9月5日(日本時間6日)、球団ピッチング・ディレクターのロブ・ヒル氏らと3時間にわたって、フォームについて議論を重ねていた。
フォーム改善の鍵となったのは骨盤の早すぎる回転だった。ヒル氏は「回転が早すぎるのは、すべてにとって致命的だ」と断言。セットポジションで後ろ脚を曲げ、膝をつま先の真上に置く姿勢を取ることで、骨盤の回転を遅らせ、上体が早く前へ倒れてしまうのを防ぎ、重心が前方へ移動するタイミングを遅らせることができた。体全体のエネルギー伝達を滑らかにすることが可能になった。
新たな投球感覚を取り戻すきっかけとなった佐々木の合言葉は“Up,Down,Out(上へ、下へ、外へ)”だった。10月のチームへ貢献するためには、もう時間の猶予はほとんど残されていなかった。通常、ドジャースが推奨するドリル練習を省き、即座に実戦投入を志願した佐々木。9月9日(同10日)の3A登板では、最速100.6マイル(約161.9キロ)、平均98.3マイル(約158.2キロ)を計測し、スプリッターに加えてカットボールも駆使して三振を奪った。
同試合では4回2/3を投げ、4四球、3失点という内容でもドジャースは大喜びだった。なぜなら、球速が戻っていたからだ。チームは佐々木に「もし今季、意味のある舞台でプレーしたいなら、それはブルペンだ」と伝えたという。
ポストシーズンでは4試合に登板し、5回1/3を無失点と快進撃を見せる。特に地区シリーズ第4戦では3イニング連続の完璧投球でブルペンの救世主となった。ヒル氏は「フォームというのは型にはめるものではない」と語り、佐々木の個性を尊重しながらも、根本からの再構築に尽力した。ドジャースが誇る育成と再生の力、その象徴となったのが、シーズン終盤に蘇った23歳の右腕だった。
(Full-Count編集部)