育成3年で経験した「大きな失敗」 社会人野球で生まれ変わった網谷圭将の現在地

DeNAでは実力を発揮できず…ヤマハで再起したスラッガー、網谷圭将
秋の風物詩、プロ野球ドラフト会議が10月23日に実施された。今年は支配下選手として73人、育成選手として43人が指名され、プロ入りのチケットを手にした。意中の球団から指名を受けた選手、指名漏れの悔しさを味わった選手……指名されてもされなくても、年に一度やってくるドラフトの日には、日本各地でそれぞれのストーリーが紡がれる。
2015年10月22日。支配下選手の指名が終わり、育成選手の指名が始まると、ほどなく「網谷圭将・捕手」のアナウンスが響いた。千葉英和高は激戦の千葉では決して強豪校とは言えないが、そこで高校通算33本塁打のパワーと強肩を誇る捕手をDeNAが1巡目で指名。ここからプロとしてのキャリアが幕を開けた。
アレックス・ラミレス監督(当時)から打撃を高く評価されたが、怪我などもあって実力を発揮しきれず。フェニックス・リーグや台湾ウインターリーグ・ベースボールに参加したり、守備位置を捕手から内野手に変えたり、何とか1軍への道を切り拓こうとしたものの、育成と支配下の間にそびえる壁は高かった。3年目を終えた2018年10月、支配下登録は叶わないまま戦力外通告。網谷はこの経験を「大きな失敗」と呼ぶ。
「今思えば、心・技・体、どれも揃っていなかった。まだ早かったな、って思います。もっと自分が色々なものを見てからでも良かったのかな、と思う時はあります。心・技・体が揃っていなかったのは事実としてあるので」
当時は21歳。同級生は大学3年生になっていた。大学野球で神宮球場を賑わせる友人たちの多くは、プロ球団や強豪社会人チームを目指すという。「確かに社会人野球もいいなと思って、ベイスターズで担当スカウトだった武居(邦生)さんに相談したところ、その方がヤマハOBだった繋がりで練習に参加させていただきました」。これがきっかけとなり、2019年からヤマハ硬式野球部への入部が決まった。
ヤマハで7年目となる今、網谷はチームの主軸として欠かせない存在になっている。2023年の都市対抗野球では不動の4番として打率.421の活躍で、チームを2度目の準優勝に牽引。7年連続出場となった今年も東京ドームで本塁打を放つなど、パワーと確実性を兼ね備えた打撃でベスト4入りに貢献した。9月には侍ジャパン社会人代表に初選出され、第31回BFAアジア選手権で最多打点&ベストナインのタイトルも獲得している。
2023年から2年連続で社会人ベストナイン入りを果たすなど順調なキャリアを築いているように思えるが、その礎となったのが佐藤二朗コーチ(当時)と取り組んだ打撃改革だった。
「バッティングを180度変えました。2年目くらいですね。『このままではノラリクラリと何年かやって終わる選手になってしまう。意味のない日々を過ごして、なんとなく終わる選手になるのは嫌だな』と思って。ベイスターズの3年間もそうですけど、なんか自分が甘いというか、技術的なところも含めて本質に気付けていないというか。だったら、一度全部ぶち壊して、しっかり変えていくことにしました」
この決断が正しかったことは、現在の活躍が証明している。持ち前のパワーを十分に生かしつつ、広角に打ち分ける打撃で安定した打率をキープできるようになった。技術的なアプローチだけではなく、ウエートトレーニングを採りいれて体重を10キロ増やした効果も大きい。185センチ、100キロの体格で打席に立つ姿は泰然自若そのものだ。
ちなみに、ブラジル出身の佐藤コーチは高校卒業後にヤクルト入り。4シーズンをプロとして過ごしたが1軍出場はないまま戦力外となり、シダックスを経てヤマハでプレーした経緯がある。もしかしたら、網谷の姿にかつての自身が重なったのかもしれない。

大事にする感謝の気持ち「ここのグラウンドで僕は育った」
ヤマハに入部した当初、網谷の心にはプロ再挑戦の思いがあった。実際、昨シーズン中にはプロ球団から誘いの声が掛かったが、「シーズン中だったのでお断りしました」。ソフトバンクからも育成契約の打診があり、支配下契約と同等の金額を提示されたが、悩んだ末にヤマハでプレーし続けることを選んだ。
「お声掛けいただいたことには感謝しかありません。今だったら正直、プロでもそれなりにやれる自信もあります。ただ、一度経験しているので、育成から支配下になる難しさは良く分かっていますし、年齢を考えても28歳で育成1年目は少し違うかなと。何もなかった自分を拾って、積上げさせてくれたのがヤマハ。社員として評価もしてくださっているし、僕の野球人生を全部変えてくれた。そこに対する感謝を忘れたら、野球人として上手くいかなくなるんじゃないかとも思うんです」
思えば、DeNAで「大きな失敗」を経験した後、人としての成長を促してくれたのもヤマハだった。
「社会人に入ると、当たり前だと思っていることが実は当たり前ではなくて、社員の方、部署の方、色々な方の支えがあることに気付く場面が多くある。野球は1人ではできないと分かっている人と分かっていない人では、いずれすごく大きな差が生まれると思うんです。何年野球を続けられるか分からないし、むしろ野球を終えてからの人生の方が長い。だからこそ、感謝の気持ちを忘れないという一番大事なところはぶらさずにいきたいですね」
八ヶ岳連峰から遠州灘に注ぐ天竜川のすぐ横にあるヤマハ豊岡球場。網谷は「ここのグラウンドで僕は育ったので。本当にたくさん汗を掻きましたし、しんどいことばかりでしたけど、今のコーチも、前のコーチも、その前のコーチも、皆さんが愛のある指導をしてくれたおかげです」と、笑顔を浮かべながら胸を張る。
否応なしに「元プロ」の枕詞がついて回るが、「自分では正直意識したことはないんですよね」と言う。「元プロというだけで通用するほど甘くない。僕の長所は必死に全力で野球に取り組むこと。それは今までもやってきているし、これからも続けていきたいと思います」。申原直樹監督はその姿勢を高く評価する1人。「真剣に取り組む姿はチームの刺激になっています」と話す。
今年のドラフト当日は、指名候補として名前の挙がる後輩たちに吉報が届くことを祈った。「ちょっとした親心みたいなもの」と微笑む姿からは、“ヤマハの網谷”として野球人生を全うしたいという思いが窺える。「社会人野球で一番大事なのはチームの勝利」と言い切るように、都市対抗野球、そして28日に開幕する日本選手権での優勝が大前提。同時に、個人としては「社会人野球で絶対的なNo.1の選手になること」を目標に掲げている。
「都市対抗野球での橋戸賞も獲りたいですし、社会人ベストナインもあと3回はいただけるように頑張りたいですね。これまで5度受賞した方は誰もいないと思うんです。俗に言うレジェンドを目指します(笑)」
ヤマハは28日から始まる第50回社会人野球日本選手権に出場し、2016年以来2度目の頂点を目指す。日本一を手にするためには、網谷の活躍は欠かせない。失敗を糧にヤマハで積み上げた自らの価値。網谷圭将の野球人生における社会人野球の章は、これから先もまだまだたっぷりと書き綴られていく。
(佐藤直子 / Naoko Sato)