痛感したプロの現実「口をきいてくれなくなった」 “昇格”で感じた凄み…忘れぬ守護神の振る舞い

小野寺力氏は入団2年目から救援投手として頭角を現した
楽天の投手コーチに就任した小野寺力氏は、2002年のドラフト4位で常磐大から西武に入団し、プロでのキャリアをスタートさせた。2年目に救援投手として徐々に頭角を現し始めると、チーム内の絶対的守護神からの接し方が一変したという。
身長188センチの大型右腕として期待された小野寺氏だったが、1年目の2003年は5月の試合中に打球が左膝に直撃して骨折。「投げ終わりの膝にパーンと当たって打球がファーストの方に転がっていった。ベースカバーまで行ったけど、そこから歩けなくなりました」。わずか2試合の登板でルーキーイヤーを終えた。
転機は2年目だった。リリーフとして再スタートを切り、150キロ超の速球と鋭い変化球で存在感を示した。当時の西武には勝ちパターン継投に森慎二投手、豊田清投手の2枚看板が君臨。その中で小野寺氏はセーブ、ホールドの記録はなかったが27試合に登板し、チームの日本一に貢献した。
チーム内での“空気”が変わったのは3年目の2005年だった。「豊田さんが自分とまったくしゃべってくれなくなったんです。周りからは『(ライバルとして)認められたんじゃないか』と言ってもらえたんですけど、口をきいてもらえなくて、すごく驚いたのを覚えています。それまではすごく優しかったので」。豊田からすれば台頭した小野寺氏は、いずれ自分の立場を脅かす存在になると感じたのかもしれない。
「これがプロなんだと思いました。そういう世界なんだと」。チームの勝敗を背負う立場として、常に張り詰めた空気をまとっていた豊田から、競争の厳しさを肌で感じさせられた瞬間だった。だが、そんな豊田から学んだことが、その後の小野寺氏の野球哲学の一部にもなっている。
豊田清の巨人へのFA移籍で2006年から抑えに
「2年目にキャッチボールをやってもらった時に1球目を軽く投げたら『それが試合の1球目に出たらどうするんだ? 試合だと思ってちゃんと投げなさい』って言われたんです。本当にその通りだと思ったし、自分が引退してコーチになってからも、選手には同じように伝えています」
その豊田は2006年にFAで巨人に移籍。同年に抑えに“昇格”した小野寺氏は59試合に登板し、29セーブをマークした。「豊田さんは移籍の際に『何かあったらいつでも相談してこい』と言ってくれました。すごくありがたかったし、自分も抑えをやって改めて豊田さんの凄さを感じました」。
厳しい世界だからこそ、本物の教えは心に刻まれる。小野寺氏のプロ野球人生は試練と学びの連続だった。
(湯浅大 / Dai Yuasa)