2度目の就任…阪神・岡田監督は「全然違った」 恐怖の20年前、一変した甲子園の雰囲気

阪神・岡田彰布前監督【写真:荒川祐史】
阪神・岡田彰布前監督【写真:荒川祐史】

サンテレビ・湯浅アナウンサーが振り返る阪神・岡田彰布前監督

 20年ぶりの晴れ舞台は格別だった。サンテレビの湯浅明彦アナウンサーは、入社3年目の2000年から「サンテレビボックス席」で実況を担当。2003年には開局初となる阪神リーグ優勝の瞬間を実況した。一方で、当時は「本当に拙い中継でした」と自身のなかで後悔が残っていた。

 時は流れ2022年11月、岡田彰布氏が15年ぶりに阪神監督に復帰。2005年にリーグ優勝に導いた名将の帰還は話題を呼んだ。「歳を重ねられて、前回の岡田さんと今どれぐらい違うのだろう、今の選手たちとどういうコミュニケーションをするのだろう」。湯浅氏にとっても楽しみだった。

 2004年から2008年の第1次政権時代は、現場の雰囲気は“ピリピリ”していた。「監督インタビューは怖かったですね。岡田さんも若かったし、私も若かったので。キャリアが浅かったので、野球への見方も浅かったですし。すごい緊張感でした」と、当時を振り返る。

 迎えた2023年。阪神は5月に大型連勝(7連勝と9連勝)を記録し、首位を独走。選手に優勝のプレッシャーをかけないように岡田監督が発した“アレ”は新語・流行語大賞に選ばれるなど、ブームになった。「蓋を開けてみれば全然違いましたね」と、笑いながら振り返った。

 忘れられない思い出の監督インタビューがある。9月8日の広島戦(甲子園)。1年目だった森下翔太外野手が、10号を放った。新人右打者の2桁本塁打は、球団では1980年に18本を放った岡田氏以来の快挙だった。

 監督インタビュー担当だった湯浅氏は岡田監督に切り込んだ。「タイガースの新人で2桁本塁打は1980年の岡田彰布選手以来になりますけども?」。すると、予想外の答えが返ってきた。「いやいや、まだ8本差あるでしょ?」。その瞬間、周囲の記者たちは思わず笑い声を上げた。

「あの雰囲気のインタビューは、岡田さんならではですよね。それは普段の解説をされている時もそうなのですが、『想定以上のことが絶対に返ってくるだろう』という想定を常にしておく。それを絶対に逃さないということです。どれだけ自分でうまくまとめられるか、アナウンサーとしての力量が問われるんだろうな、と思います」

甲子園で2度目の優勝実況を務めたサンテレビ・湯浅明彦アナウンサー【写真:本人提供】
甲子園で2度目の優勝実況を務めたサンテレビ・湯浅明彦アナウンサー【写真:本人提供】

「視聴者がスコアブックを書ける中継」を継承する

 優勝マジック1で迎えた9月14日の巨人戦(甲子園)。湯浅氏は2003年以来となる歓喜の瞬間をお茶の間に伝えた。「1か月ほど前に実況担当のシフトを組んだのは私なのですけど、まさかですよね。1回させていただいただけでも十分だし、夢にも思っていませんでした」。2003年は体調不良で点滴を打って放送席に座るという極限状態での優勝実況だった。それから20年のキャリアを積み、再び巡ってきた瞬間は万全の状態で挑むことができた。

「20年前と決定的に違ったのは、この間にサンテレビという組織の中で経験を積ませてもらえたということです。9回に岩崎優投手が(2023年に脳腫瘍で亡くなった同期入団の)横田慎太郎さんの登場曲『栄光の架橋』でマウンドへ向かった際も、慌てることはありませんでした。あの時、自分が持っているベストは出せたと思います」

 湯浅氏が野球実況をする上で、一番に大切にしている信念がある。それは、サンテレビが開局当初から築き上げてきた「視聴者がスコアブックを書ける中継」という原理原則を守り抜くこと。「この伝統を10年後、50年後、そして100年後も絶やすことなく繋いでいかなければなりません。これからも自分自身の言葉とフレーズで、ファンの方に野球を心から楽しんでもらえるよう全力を尽くしたい」と、熱を込める。

「スポーツって本当に面白いですし、私は子どもの頃に見た高校野球の実況に憧れ、アナウンサーを志しました。スポーツの魅力を自分が話すことによって、誰かの心に何かを感じてもらえるような実況をしていきたい。私の中継をきっかけに、アナウンサーになりたい、放送局で働きたい、あるいは新聞記者やスポーツ関連の仕事に携わりたいと志す人が、ひとりでも増えてくれたらこれほど嬉しいことはありません」

 実況によって自らの道が拓かれたからこそ、その魅力を未来へ繋ぎたい――。文化の継承に並々ならぬ熱意を注ぐ湯浅氏は、2026年シーズンも甲子園の放送席に座り続ける。

(神吉孝昌 / Takamasa Kanki)

RECOMMEND